2009年8月3日月曜日

部族と青銅祭器 その10

部族の族祖に名前がないとその子孫を特定することができませんから、族祖にはそれぞれ名前がありました。弥生時代は部族が王を擁立した時代ですが、部族は民族と宗族(氏族)の中間に位置する「擬制された血縁集団」で、未開人社会と考える必要はさらさらにありません。

大場磐雄氏は銅鐸を使用したのは「出雲神族」だとし、出雲神族とは大国主神の子孫という意味だとしていますつまり銅鐸を配布した部族の始祖の名前はオオクニヌシとして語り伝えられているのです。ただしこれは後世に考えられるようになった名前で、本来は複数の名前があったようです

大場氏は銅矛を使用した氏族を安曇氏としていますが、安曇氏の祭る綿津美3神はイザナギの禊払い(みそぎはらい)で生まれたとされています。銅矛を配布した部族の族祖の名前はイザナギなのです。禊払いでは同時に住吉3神も生まれていますから、この神を祭る氏族の中にも銅矛を神体とする宗廟祭祀を行なっていたものがあるでしょう。

大場氏は銅剣を使用した氏族として物部氏を上げていますが、物部氏は問題の多い氏族です。私は物部氏が経津主命を祭る氏族であること、銅剣の多い出雲にイザナミの伝承があることなどから、火の神カグツチを生んで焼け死ぬイザナミが、銅剣を配布した部族の名前だと考えています。

私は大場氏の著作物は『銅鐸私考』以外には読んでいないのですが、大場氏は銅戈を使用した氏族については触れていないようです。これは私の考えですが、筑前の宗像氏、筑後の水沼君、豊後の大神氏など、宗像3女神を祭る氏族が銅戈を使用したと考えています。

つまり銅戈を配布した部族の名前はスサノオなのです。スサノオについては「邪馬台国と面土国 その4」でも述べていますが、面土国王の帥升が始祖だとされているのです。これが当ブログの今後の主要テーマになっていきます。

266年に倭人が晋に遣使していますが、その後間もなく部族は統一されて消滅し、大和朝廷が成立して氏姓制社会になります。部族が消滅することは青銅祭器の存在理由がなくなるということであり、全ての青銅祭器は地上から姿を消します。

そして古墳時代の氏族の行なう宗廟祭祀では、青銅祭器に替えて銅鏡が神体になり、それが現代にまで続いています。換言すると部族の宗廟祭祀の神体が青銅祭器であり、民族の宗廟祭祀の神体が銅鏡だということになります。

分かり易く言うとかってはオオクニヌヌシを祭っている神社の神体は銅鐸であり、スサノオを祭っている神社の神体は銅戈だったということです。あるいは銅鏡を神体としていた部族があったかもしれません。伊勢神宮の神体の鏡が三角縁神獣鏡なら面白いのですが、それを詮索するのは不敬ということになるのでしょうか。

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