2009年8月2日日曜日

部族と青銅祭器 その9

青銅祭器を宗廟祭祀の神体だとする説のないのが不思議ですが、それに近い考え方に大場磐雄氏の説があります。大場氏は銅鐸を使用したのは大神氏・加茂氏などの「出雲神族」だとしています。また銅剣を使用したのは物部氏であり、銅矛を使用したのは安曇氏だとしています。私はこれらの氏族を弥生時代の部族に置き換えて考えればればよいと思っています。

大場氏は昭和24年に『銅鐸私考』を発表していますが、藤森栄一氏などごく一部の人々を除き、冷笑、黙殺しました。それは大場氏が青銅器と神話を結び付けているからです。昭和24年といえば終戦後間もないころです。

神話は天皇の日本統治を正当化するために創作されたものであり、史実ではないとされて、神話に触れることはタブーだった時代でした。藤森氏は『銅鐸』の中で次のように述べています。(1995年5月、学生社)

考古学者として、大場さんの仕事も、私のいこうとする方向も、ほんとうはタブーなのである。このいかにも面白い、いや、これきり他には結論はないだろう大場学説が昭和二四年から、今日に至るまでまったく黙殺されて、一言の評論もないのも、ほんとうはその学説の当否ではなくて、この方法がタブーであるからである。「考古学は物をもって語らしめよ。研究者がとやかく類推する必要はない」それは考古学者の骨の髄までしみとおったかたくなな信念である。

加茂岩倉遺跡の発見で大場氏の説はユニークな説として注目されるようになり、発見を記念した特別展の図録、『銅鐸の美』(国立歴史民族博物館編)にも、イメージ豊かな仮説として紹介されています。

39個の大量の銅鐸が1ヶ所で、しかも大場氏が予見したように出雲の加茂で出土したのですから、その予見に関心が向けられたのは当然のことです。その10年ほど前に荒神谷遺跡で銅剣358本・銅矛16本と共に銅鐸6個が出土していたことも、大場氏の説に関心が寄せられる一因になっています。

しかし神話は国文学、比較神話学の分野であり、考古学や史学とは別物だという考え方はまだまだ存在しているようです。大場氏は国学院大学教授という立場にあり、藤森氏は在野の研究者であったからこのような思考も可能でしたが、他の研究者がこのような説を発表すれば学者生命を断たれるでしょう。

確かに神話に接してみると史実とは考え難いものが多々あり、神話は史実ではないとも思えますが、神話には大変な量の古代史の情報が含まれています。神話に含まれている情報を用いないのはまさに宝の持ち腐れ以外のなにものでもありません。

青銅祭器は部族が父系の同族関係を擬制した宗族に配布したものであり、私は青銅器を理解するには大場氏の方法は有効であり、それは部族と無関係ではないと考えています。 

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