2009年9月25日金曜日

高御産巣日神 その1

倭人伝は国々に市があり大倭が「之を監せしむ」(管理している)と述べていますが、従来のこの文の前後の解釈には問題があり、検討が必要なようです。大倭については、①倭人中の大人とする説、②邪馬台国の設置した官とする説、③大和朝廷のこととする説の三説があります。

租賦を収めるに邸閣有り。国国に市有り有無を交易す。大倭をして之を監せしむ。自女王国以北に特に一大率を置き、諸国を検察す。諸国は之を畏憚す。常に伊都国に治す。国中に於て(国中に於ける?)刺史の如き有り、王の遣使の京都、帯方郡、諸韓国に詣でるに・・(略)

この文について東洋史の植村清二氏は、交易と大倭とは関係がなく、大倭は一大率を管理しているのだと解釈し、一大率に諸国を検察させている大倭は、大和に有った国の高官だとしています。一大率はあたかも中国の州刺史のようなものであり、諸国を検察し、また津(港)で捜露しているのだとしています

「邪馬台国と面土国 その6」で述べたようにこの解釈はたいへんな誤解で、一大率があたかも中国の州刺史のようなものだというのと、面土国王が「自女王国以北」の国を州刺史のように支配しているのとでは大変な違いです。一大率があたかも中国の州刺史のようだと最初に解釈したのは植村氏のようです。

一大率があたかも中国の州刺史のようだという解釈は大和朝廷、あるいはそれに代わる邪馬台国=畿内説を前提にしなければいけませんが、今まで述べてきたように邪馬台国=畿内説は成立せず、大和朝廷もまだ成立していません。植村氏の説は成立しないのです。

従って大倭は租賦(租税)や市を管理しているのだと考えなければいけませんが、私は①の倭人中の大人とする説と、②の邪馬台国の設置した官とする説を折半したものが大倭だと考えています。面土国王は刺史の如く「自女王国以北」を支配し、大倭は市場や交易などの経済を管理、支配しており、一大率は軍事を担当しており、それぞれ役割を分担しているのです。

政治も経済抜きでは運営できませんから、大倭は女王国を陰で操っている実力者だったのでしょう。大倭という文字の意味からもそのように考えることができますが、天の岩戸以後活動する神の中にいかにもそれらしい神がいます。タカミムスビ(高皇産霊尊、高御産巣日神、高木神)です。この神は神話の冒頭にも高天が原にいる五柱の別天つ神(ことあまつかみ)として出てきます

この神は天の岩戸以前には活動が見られず、それ以後に天照大御神とペアで、時には単独で神々に指令を出すようになります。つまり卑弥呼の時代には活動が見られず、台与の時代になると台与と対等か、それ以上に活動するようになるのです。

台与が即位して間もなく面土国王と、それを擁立した銅戈を配布した部族が滅ぼされ女王制は有名無実になっていきます。これがスサノオの高天が原からの追放ですが、その後事実上の倭王になったのが大倭で、これがタカミムスビなのです

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