倭人伝は卑弥呼について「鬼道を事とす」と記していますが、卑弥呼は女王とはいうものの実態はシャーマン(巫女)でした。 そのシャーマン女王の卑弥呼を補佐したのが卑弥呼の弟ですが、天照大神にもツキヨミ(月読命、月讀尊)とスサノヲ(須佐之男命、神素戔嗚尊、速素戔嗚尊)という二柱の弟がいて、どちらかが卑弥呼の弟ということになります。
『日本書紀』第五段本文には天照大神とツキヨミが姉弟であることが示されていて、神話と倭人伝とを対比させることによって、神話が史実であることが分かる好例になっています。スサノヲは天照大神と事々に対立するので、卑弥呼を補佐した弟のようには思えません。スサノヲは「刺史の如き者」(面土国王)ですが白鳥庫吉は狗奴国の男王と見ています。
ツキヨミが弟ということになりますが、ツキヨミは天照大神の命令に反して保食神を殺したこと以外には活動の見られない、いたって地味な神ですが卑弥呼姉弟と関係が似ていて、姉が日神であるのに対し弟は月神で、昼と夜が対になっています。それに対しスサノヲという神名は異質です。『日本書紀』 本文は2神について次のように記しています。
そこで共に日の神を生まれた。大日孁貴という。(一書は天照大神という。一書は 天照大日孁尊という)この御子は光華明彩(ひかりうるわしく)して、国の内に照り通った。二神は喜んで、「吾が子は多いが、このように靈異な子はいない。永くこの国に留めておくべきではない。早く天に送って天上を支配させよう」と言われた。この時、天と地は今のように遠くなかった。そこで天柱で天上に送り上げた。次に月の神を生まれた。(一書は月弓尊、月夜見尊、月讀尊という)その光彩(うるわしい)ことは日に次いだ。そこで日と共に治めるようにと、また天に送られた。
イザナギ、イザナミ二神は国を生み、神を生んだ後に、天下を支配するものを生もうと相談して、日の神、月の神、蛭兒、素戔鳴尊の四神を生みます。蛭兒は『日本書紀』本文だけに見られて『古事記』には見えません。
日の神は「光華明彩(ひかりうるわ)しくして、六合(くに)の内に照りる徹(とお)る」という霊異な子だったので、天上、つまり高天が原を支配するようにと、天の御柱(あめのみはしら)によって送り上げられます。そして月の神もまた日の神と共に高天が原を支配するようにと送り上げられています。
天照大神は光華明彩で、ツキヨミもそれに次いだとありますが、光華明彩の意味するところはイメージとしては解るような気もしますが、具体的な意味はさっぱり解りません。これを『魏志』倭人伝の文と対比させてみると、卑弥呼が優れたシャーマンであり、弟が女王としての卑弥呼を補佐していたことを表していることがわかります。
卑弥呼は倭国大乱で王を立てることができないため、共立されて女王になり、邪馬台国を国都にしたのであり、生まれた時から女王ではありません。邪馬台国を国都にしたのも女王になってからのことです。天照大神とツキヨミも高天が原以外の場所で生まれて、霊異な子だったので高天が原に送り上げられています。 両者は同じことが言われています。
前述のように私は卑弥呼姉弟は筑紫君磐井の遠祖であり、投馬国の王族ではなかったかと考えています。広川町藤田天神浦で中広形銅矛が18本出土していますが、関係を考えてみる必要があるように思っています。
いかに優れたシャーマンであっても相応の身分でなければ王にはなれないでしょうし、卑弥呼の弟にしても優れたシャーマンの弟というだけで国政を補佐できるものではなさそうです。天照大神とツキヨミが高天が原に送り上げられる前に居たのは筑後だということになりそうで、八女郡のあたりが可能性が高いと思っています。
天照大神とツキヨミは様々な点で卑弥呼姉弟と一致します。このことからも高天が原が邪馬台国であることが考えられますが、私は高天が原は甘木・朝倉だと考えています。
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