2009年9月22日火曜日

須佐之男命 その4

イザナギに追放されたスサノオは、暇乞いのために高天が原の天照大神を訪れますが、天照大神は国を奪いに来るのであろうと武装して待ち受けます。これは面土国王が「自女王国以北」の国を中国の刺史のように支配したり、津(港)で女王の使者を捜露するなど、卑弥呼との関係が良いものではなかったことを表しています。その背景には銅矛を配布した部族と銅戈を配布した部族の対立があり、さらには中国の「正閠論」が絡んでいるようです。

そこで八百万の神は共に計らって、速須佐之男命に千位の置戸を負わせ、また髪を切り手足の爪を抜いて追放した

天照大御神が岩戸から出てくると、神々は岩戸にこもった原因はスサノオにあるとして追放します。天照大御神が岩戸から出てくるとは台与が共立されたということで、卑弥呼死後の争乱の原因が面土国王にあるとされていることがわかります。このスサノオが倭人伝の「刺史の如き者」であることは言うまでもありません。   

千位の置戸(ちくらのおきど)とは贖い物を置く多くの台ということで、多くの賠償が課せられたということです。鬚を切り手足の爪を抜くのは体刑であり、神やらいは追放で、台与が共立されて間もなく卑弥呼死後の争乱の事後処理が行なわれて面土国王やそれに加担した者が処罰されたというのです。

倭人伝の記事は正始八年、つまり天照大神が岩戸から出てきた時点で終わっており、倭人伝の記事からはこのことは分かりません。白鳥庫吉の言うようにスサノオを面土国王ではなく狗奴国の男王や、その官の狗古智卑狗と見ればどうなるでしょうか。途中を省略しますが、結論は神話は史実ではないということになるでしょう。

この部分は神話を無視してはならいことが特によく分かる部分です。面土国の存在を認めることで邪馬台国の位置論が解明できることを述べましたが、神話もまた解明できそうです。さらには青銅祭器の謎を解明することもできそうです。

私は卑弥呼の統治下で広形銅矛a類が造られ、台与の時代以後にb類が作られたと考えています。従ってa類からb類に変化するのは台与が共立された247年ころということになります。広形銅矛は出土量も多くa類とb類がありますが、広形銅戈は中広形と違って数が非常に少なくa類とb類の別がありません。

これは広形銅矛b類が造られた時期には銅戈は造られていなかったということで、広形銅矛b類が造られた時期に面土国王家が滅亡し、銅戈を配布した部族も消滅したということのようです。それは台与共立の一方の当事者が存在しなくなったということであり、女王制が有名無実になったということです。

天照大神は天の岩戸の前後で性格が大きく変わり、天の岩戸以前にはスサノヲの姉として自ら行動しますが、天の岩戸以後には自ら行動することはなく、高御産巣日神とペアで神々に指令を下すだけになります。台与が共立されて間もない250年ころに女王の時代は終わり、高御産巣日神に相当する人物が実質的な倭王になるようです。私は高御産巣日神を倭人伝の大倭だと考えています。
 
追放されたスサノオは出雲に降(くだ)りヤマタノオロチを退治することになっていますが、編年体の史書と違って紀伝体の神話では年代も時代も違う史実が物語風に纏められています。年代も場所も違う神話がスサノオの追放で結び付けられているのですが、私はスサノオのオロチ退治の神話は倭国大乱が出雲に波及したことが語られていると考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿