『日本書紀』本文では天照大神・月読尊に次いで素戔嗚尊が生まれますが、この神には天照大神、月読尊とは正反対の性格が与えられていて、父母のイザナギ、イザナミ二神はスサノオを追放します。『古事記』ではスサノオを追放するのはイザナギだけになっています。『日本書紀』本文は次のように記しています。
次ぎに素戔嗚尊を生まれた。(一書に神素戔嗚尊、速素戔嗚尊という。この神は勇悍(たけだけしく)て安忍(残忍)で、また泣き嘆くことを常とした。ゆえに國内の人民が多く死んだ。さらにまた青山を枯山に変えた。そこで父母の二神は素戔嗚尊に言われた。「汝ははなはだ無道である。だから天上、天下を支配してはならない。遠い根の國に行け」と言って追放された。
これは『日本書紀』本文の神話ですが、『古事記』ではイザナギに海原(うなばら)を治めるように命ぜられながら、母のいる根の堅洲国(ねのかたすくに)に行きたいと泣いてばかりいたので、そのために様々な禍が起き、イザナギは素戔嗚尊を追放したとされています。
これには2世紀末に起きた倭国大乱のことが語られているようです。つまり大乱の当事者がスサノオとイザナギなのです。イザナギは禊(みそぎ)はらいして阿曇海人・那珂海人の祀る神を生みますが、前述したようにイザナギは銅矛を配布した部族が神格化されたものです。
それに対して追放されるスサノヲは銅戈を配布した部族が神格化されたものであると同時に、その部族によって擁立された面土国王でもあります。青銅祭器についてはさらに詳しく述べるつもりですが、ここでは「そのように考えることもできる」という程度に思ってください。
倭国大乱は倭王位を巡る銅矛を配布した部族と銅戈を配布した部族の対立でした。スサノヲは母のいる根の堅洲国に行きたいと泣いてばかりいましたが、母とはイザナミのことです。イザナミは銅剣を配布した部族であると同時に、銅剣を配布した部族によって擁立された奴国王でもあります。
世の古今東西を問わず全ての支配者に共通することの一つに、自分の支配権の正当性を認めさせようとして、様々な手段を用いていることがあげられます。前漢を滅ぼした王莽は天の意思が王莽を皇帝にしたという天人感応説を巧みに利用して皇帝になりましたが、卑弥呼は魏から「親魏倭王」に冊封されたことによって正当な王とされました。
この神話には魏の曹氏と蜀の劉氏の「正閠論」が絡んでいるように思われます。「正閠論」とは魏と蜀のどちらが後漢の後継王朝かという論議です。57年の奴国王の遣使も107年の面土国王帥升の遣使も、後漢王朝に対して行なわれていますが、卑弥呼は魏に遣使して親魏倭王に冊封されています。
奴国や面土国には蜀を正統とする考え方があったように思われます。それによると魏は後漢を滅ぼしたのであり、魏によって冊封された卑弥呼は正統の倭王ではなく、仮の王だということになります。正統の倭王は面土国王だというのですが、これが卑弥呼の死後に起きた争乱の原因になっているようです。
スサノヲが母のいる根の堅洲国に行きたいと言ったのは、面土国王の統治権は奴国王から継承したものであり、その統治権は後漢が認めた正当なものであると主張しているのであり、このことが倭国大乱や卑弥呼死後の争乱の原因になっているということのようです。「正閠論」はその後にも尾を引き、古墳時代の氏族の権力闘争にも影響しているようです。
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