天照大神が岩戸のこもると天地は暗黒になり、そこでオモイカネ(思金神、思兼神)は常夜の長鳴き鳥を集めて長鳴きさせます。常世の長鳴き鳥は、夜明けを告げる雄鶏のことで、この鳥が鳴くと明るくなってきます。つまり思金神が天照大神を岩戸から引き出すことを発案したというのでしょう。これは台与の共立を発案したのが思金神に相当する人物だったということだと思われます。
天の岩戸のハイライトシーンです。アメノウズメは岩戸の前でエロチックダンスを披露します。思金神が常世の長鳴き鳥を鳴かせ、多力雄神(多力男尊)は岩戸の陰に隠れ立ち、少し開いた岩戸に手をかけて開け、天照大神の手を取って引き出します。そして布刀玉命は「尻くめ縄」を張り渡します。
これは台与が共立されたことを表し、思兼神に相当する人物が台与の共立を発案し、手力雄神に相当する人物がそれを実行したことを表しているようです。アメノウズメのダンスはシャーマンが神憑りした状態を表しているように思われ、台与の即位は神意に適っているというのでしょう。
布刀玉命は大和朝廷で祭祀を職掌した忌部氏の祖とされていますが、「尻くめ縄」を張り渡すのは、天照大神が再び岩戸に入ることがないようにという意味で、台与の共立を保障したというのでしょう。
岩戸を引き開けた手力男神については『系図纂要』(名著出版、一九九八年八月)に表のような神統が掲載されています。山城国月讀社(京都府綴喜郡田辺町、月讀神社)か、信濃国戸隠社(長野市戸隠、戸隠神社)の社伝によるものだと考えられます。この神統では手力男神は月讀尊の子とされています。
塙保紀一(はなわほきいち)の『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』は手力男神を思兼神の子とする説を紹介していますが、岩戸の神話では同時に活動していますから、手力男神と思兼神は同世代のように感じられ、手力男神は月読命の子とするのが適当です。
ツキヨミは卑弥呼の弟だと考えられますが、そうすると手力男神は卑弥呼の弟の子、つまり卑弥呼の甥ということになります。神話と倭人伝とを対比させてみると思兼神に相当する人物が台与の共立を発案し、卑弥呼の甥がそれを実行したことになります。
卑弥呼の甥であれば台与の共立を主導するには適役です。神話の系譜がすべて史実だと断定できるわけではありませんが、台与の共立にそうした人間関係があったことは考えられてよいことです。
私は次回に述べるように思金神は大夫の難升米であり、手力男神は掖邪狗だと考えています。掖邪狗は正始4年にも卑弥呼の使者になり、難升米と同格の率善中朗将に任じられ印綬を授けられています。天の岩戸から出てきた天照大神は台与ですが、台与は掖邪狗ら20人を魏に派遣しています。
掖邪狗は台与を王にした以上、倭王の冊封を受けさせなければならず、自ら魏に出向いたと思うのです。『日本書紀』神功皇后紀は台与が遣使したのは266年だと思わせようとしていますが、これは神功皇后を卑弥呼・台与と思わせるためであって、台与の遣使は正始9年(248)に行なわれたと考えるのがよいと思っています。
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