白鳥庫吉が岩戸の神話と卑弥呼の死の前後の様子がよく似ているとしているのに対し、津田左右吉は神話の物語と倭人伝の記述とは何の接触点もなく、まったく交渉のないものであるとしています。白鳥と津田の論争は決着がつかなかったようですが、神話に対する視点が違うから決着のつけようがありません。
津田左右吉は自分の論法について「その考えがまちがいだという証拠はなにもない」としていますが、その考え自体が明らかに間違いです。津田は「宋書以下の歴史書にみえる倭は、同じく倭と記されていても、それは記紀の言い伝えと対照できるから、その性質が違う」と言っていますが、以後述べるように倭人伝も対照することができます。
もしも津田が言うように神話が創作されたものであるのなら、その種本は倭人伝だと言わざるを得ません。このことは現在の神話は史実ではないとする説に対してもそのまま言えることですが、天の岩戸の神話と卑弥呼の死の前後の様子がよく似ていることをどのように説明されるのでしょうか。
時代は変わっています。那珂道世の説が正しいとは言わないでほしいものです。今日の史学の常識では紀元前後は弥生時代の真只中であり、大和朝廷がすでに成立しているような状態とは思えません。我田引水になるのかも知れませんが、大和朝廷成立の機運が出てくるのは卑弥呼が親魏倭王に冊封され、倭人の間に「擬似冊封体制」が定着して以後のことだと考えています。
前述のように部族は王を擁立しますが、王には稍以上の地域を支配してはならないという職約があり、各稍には部族が擁立した王が存在していました。稍筑紫の王が卑弥呼ですが、卑弥呼は冊封体制によって与えられた親魏倭王という権限によって、他の稍の有力者個々人に対して邑君、邑長のような魏の官職を与えることができたようです。これを「擬似冊封体制」と呼んでみました。
これは女王国のみならず倭人社会全体に、部族が擁立した王と冊封体制によって権威づけられた親魏倭王という、二重のヘゲモニー(覇権・支配権)が存在しているということです。集団としての宗族や氏族は稍を支配している王が統治していますが、宗族や氏族を支配している族長個人は、親魏倭王の卑弥呼から魏の官職を与えられることによって、個人の権威を強化することができました。
宗族(リネージ)は血縁関係の明確な父系血縁集団ですが、クランは血縁関係が不明確で神話や伝説で同族だとされている集団です。クランには政治結社的な性格を持ち支配、非支配の関係が明確なものがあり、これを円錐クラン、またはコニカルクラン、あるいはラメージと言っています。
部族(トライブ)は父系の出自集団を擬制した親族(キンドレッド)集団ですが、親族は基点になる個々人ごとに異なるので血縁集団としてはまとまりの悪い集団です。それに対し氏族(円錐クラン)は血縁関係が明確で、支配、非支配の関係があって、支配制度としては部族(トライブ)よりも氏族(円錐クラン)の方が優れています。
中国を中心とする冊封体制は有力な氏族(円錐クラン)の族長に官職を授け、統治を委任する制度ですから、次第に族長の支配権が強まっていき、やがて部族は氏族に再編成されます。支配制度として効率のよい氏族制度が部族制度に取って代わるのですが、卑弥呼が親魏倭王に冊封されて二重のヘゲモニーが存在するようになったことが、部族社会が氏族社会にかわるきっかけになりました。
私は卑弥呼の親魏倭王が二重のヘゲモニーを形成していることこそ『魏志』倭人伝を究明していく上での最重要事であろうと考えています。卑弥呼が親魏倭王に冊封されたことにより、部族を統一しようとする動き、つまり大和朝廷成立の機運が出てくると考えています。
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