2009年7月29日水曜日

部族と青銅祭器 その6

話が横道に逸れましたが、「その4」の続きです。紀元前108年に武帝が朝鮮半島に楽浪郡を設置したことにより、部族は急速に「文化統一体」から「政治統一体」に変質していくようです。通婚によって父系の同族関係を擬制し、そのことを表す宗廟祭祀を行なう集団であったものが、政治的な単位になっていくと考えればよいようです。

古代中国の周王の姓は姫氏ですが、周王は姫氏の宗廟祭祀を主宰する特権を持っており、そのことによって姫姓の諸侯を支配していました。春秋・戦国時代になると宗廟祭祀よりも実力が重視されるようになって、周は徹底した法治国家の秦に滅ぼされます。

その秦も度の過ぎた法治主義が原因になって滅びます。前漢の武帝は儒教を国教にすることによって、秦の法治主義と周の宗廟祭祀中心の統治を融合させました。楽浪郡が設置されて倭人の部族が前漢の冊封体制に組み込まれると、部族の形態は秦の法治主義と周の宗廟祭祀中心の統治とを併せ持ったものになっていくと考えます。

つまり倭人は冊封体制に組み込まれたことにより、そうとは知らずに秦の法治主義と儒教を受け入れていたのです。部族長は擬制された同族集団の祭祀の主宰者であると共に、部族国家の政治的な支配者になっていきます。 元来の神社は宗廟祭祀の場だと考えられますが、私は日本の神道はシャーマニズムなどの祖形に、冊封体制によって受け入れた秦の法治主義と儒教が習合して原形ができと考えます。

秦の法治主義が大和朝廷の統治とどのように関係していくのかはわかりませんが、宗廟祭祀を重視する儒教の影響で青銅器が祭器になっていく考えています。それは紀元前後のことであろうと思っています。当時の倭人が儒教の内容を知っていたとは思えませんが、分かりやすく言うと青銅祭器は神社のご神体だと思えばよいと考えます。

青銅祭器は巨大になった部族が、父系の同族関係を擬制した宗族に配布しました。『その2』で述べたように、親族(キンドレット)は限界〔枠〕を設けないと無限に拡大していきますが、最終的には某宗教団体のスローガンではありませんが「世界はみな兄弟」ということにもなります。

具体的に言えば全ての人が全ての部族に属しているということになります。一面ではそれが民族だともいえるようですが、部族は青銅祭器を配布した宗族を親族の限界〔枠〕としたようです。

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