ニニギが天降り(あまくだり)しようとした時、天の八衢(あめのやちまた)に立って高天が原から葦原中国までを照らす神がいました。その神の鼻の長は七咫(ななあた)、背丈は七尺、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、またホオズキのように照り輝いているという異様な姿でした。そこで天照大神と髙木神はアメノウズメ(天宇受売、天鈿女命))に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じます。その神が国津神のサルタヒコ(猿田彦)で、ニニギの降臨を先導しようと迎えに来たのです。
「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形とされる道祖神と同一視され、全国各地で賽の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られています。この場合、妻とされるアメノウズメとともに祀られるのが通例です。また、祭礼の神輿渡御の際、天狗面をかぶり一本歯の足駄を履いた猿田彦役の者が先導をすることがあります。
「自女王国以北」には特に一大率が置かれ、それは常に伊都国に治すとされ、諸国を検察していて諸国はこれを畏憚すると述べられています。一方のサルタヒコ(猿田彦大神)はアメノヤチマタにいる神とされ、道路が交わる辻を守護する神として道祖神と同一視されています。
一大率はサルタヒコだと思われます。人々は一大率を畏憚していましたが、そのことが語り伝えられているうちに、サルタヒコは異様な姿をしているという風に語られるようになったのでしょう。
私は田川郡が伊都国だと考えていますが、香春付近には猿田彦大神と陰刻された石塔が多くみられます。これは一大率が香春付近を根拠地にしていたということのようです。なぜ一大率が香春付近にいたのかについては「伊都国その3」で、伊都国の特殊性に触れていますので参考にしてください。
藤原広嗣の反乱では田河路沿いに進攻してくる朝廷軍を阻止するために、この付近は多胡古麻呂が守備していました。女王にとっては関門海峡・周防灘方面への進出路を確保する必要があり、この地が重視されていました。
サルタヒコはアメノウズメとペアで活動しますが、アメノウズメには卑弥呼のようなシャーマンとしての性格があるように感じられます。天の岩戸の前でのストリップダンスは巫女が神憑りして演ずる狂態(通常者から見て)のように思われます。『日本書紀』第一の一書ではアメノウズメがサルタヒコに何者かと問いかけた時にも、同じようにストリップを演じています。
ニニギが高千穂の峰に降臨したというのは女王国によって侏儒国が併合されたということで、天孫降臨は軍事行動でした。軍事行動は一大率の監視下にあり一大率の同意が必要でしたが、巫女であるアメノウズメの下した託宣によって降臨が可能になったというのでしょう。
私はアメノウズメは伊都国王でもあると考えるのがよいと思っています。アメノウズメがサルタヒコに何者かと問いかけたのは、女王制の終焉に際して一大率も廃止されたということであり、女王の統治権と一大率の軍事、警察権が統合されて、一本化されたということだと考えています。
卑弥呼の死と台与の共立との間に男王が立つが千余人が殺される争乱になります。伊都国には王が居るが女王国に統属しているとありますが、男王の時代に卑弥呼や台与のように巫女であると同時に王でもあるという役割を演じていたのが、伊都国王だったと思うのです。一大率(サルタヒコ)と伊都国王(アメノウズメ)がペアで男王の時代の混乱を乗り切ったのでしょう。
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