早く邪馬台国の位置論をやりたいのですが、前置きばかりが長くなります。前提条件を並べた立てておいて、自分の思う所に邪馬台国を誘導していこうというのではありませんので、しばらくお付き合い下さい。前回には青銅祭器を配布した部族が稍の王を擁立したと書きましたが、今回からこの点について述べてみたいと思います。
倭人伝は犯した罪の軽重によって妻子が没収され、門戸や宗族が滅ぼされると記していますが、妻子の集合体が門戸であり、門戸の集合体が宗族だと考えられています。宗族はおそらく古墳時代の氏族の祖形であり、父系の血縁者集団でしょう。
中国の氏族には「同姓不婚」という原則がありますが、倭人の場合も同族間の通婚はタブーになっていたと考えられます。 当然通婚の相手は他の宗族の構成者になりますが、通婚が重なるうちに通婚圏が形成されます。
通婚圏は協力して敵と戦ったり物資を融通しあったりする「文化統一体」としての性格を帯びるようになりますが、この文化統一体を「部族」と呼ぶことにします。文化人類学の用語で言えば宗族はリネージであり、部族はトライブに当たると考えられます。
宗族〔リネージ〕は父系、または母系のどちらかの血縁関係の明確な同族集団ですが、よく似た集団にクランがあります。クランは血縁関係が不明確で、神話や伝説で同族だとされている集団だと理解していますが、クランの大きくなったものが元来の部族(トライブ)だと考えます。
元来の部族は文化統一体ですが、次第に政治統一体に変質し「部族国家」を形成するようになります。 この部族国家 が後に律令制の郡になるようです。もちろん後世に設置されたことの明らかな郡も有りますが、意外に多いようです。
寺沢薫氏は当時の地域社会構造を、 ①基礎地域(小共同体) ②大地域(大共同体) ③大地域結合体(大共同体群)に区分されていますが、大共同体については「律令制の郡程度の広さを目安とした政治性をも内包した圏」だとされ、寺沢氏の著書『王権誕生』160ページにはその共同体が図示されています。
私は宗族の占有地が寺沢氏の言われる①の基礎地域でありであり、部族国家が②の大地域だと考えればよいと思っています。寺沢氏は 大共同体が統合されて③の大共同体群が形成されるとされていますが、私は大共同体群の巨大なものが戸数7万の邪馬台国であり、5万の投馬国だと考えるのがよいと思っています。
私は邪馬台国は筑前西半に、奴国は筑前東半に、投馬国は筑後に在ったと考えていますが、『王権誕生』の図は倭人伝の国々を考察する上で、非常によいヒントだと思います。ぜひとも参考にしてみてください。ちなみに図中の胸肩が面土国です。
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