2009年7月24日金曜日

部族と青銅祭器 その3

中国・朝鮮・日本などの儒教圏では祖先の祭祀が重視されています。元来の日本の神社も祖先を祭る施設なのですが、神仏習合の結果、お盆や命日のように祖先の祭祀は仏式で行なうことが一般的になっています。仏壇に祖先の位牌を安置することなども儒教の影響を受けています。

儒教では位牌に当たるものを神牌と言っていますが、祭壇に置かれる神牌は自分を含めた5代前までで、6代以前は祖先の神牌として一纏めにされます。これは日本の位牌でも行われています。日本の民法が親族の範囲を6親等以内の血族とするのも、6代以前は親族ではなく祖先だという儒教の慣例から生まれたのでしょう。

孔子以前の古代中国ではこのことが氏族を統治する原理になっていたようです氏族の宗廟祭祀を主催できるのは氏族長だけで、他の構成員は宗廟祭祀に参加する義務があるだけで主催することはできませんでした5代以内の親族の祭祀は氏族の構成員が個々に行なっていたが、6代以前の祖先の祭祀を主催できるのは氏族長に限られていたようです。

氏族長と一般の構成員の違いはそれだけで、他は平等でした。こうした宗廟祭祀で重要になってくるのが始祖は誰かということです。例えば徳川氏の始祖は家康ですが、その祖先は三河の国人土豪、松平氏です。始祖が違うと氏族の範囲が変わってくるのですが、始祖が存在することが、氏族の存在する根拠になっているのです。

倭人伝は門戸、宗族が存在していることを述べていますが、氏族や部族が存在しているとはしていません。しかし古墳時代の氏族の祖形が倭人伝の宗族であることは間違いないでしょう。であれば宗族や部族が始祖以来の祖先を祭る宗廟祭祀を行なっていたと考えてよいでしょう。神社で始祖を神として祭ることが、すでに弥生時代に行なわれていたと考えるのです。

文化人類学の部族の定義でも「共通の祭祀を行なうこと」が挙げられていますが、それには「擬制された始祖」を祀る宗廟祭祀も含まれるでしょう。私は弥生時代を部族が国を形成する「部族国家の時代」 だと考えていますが、その祭祀も儒教の影響を受けていると考えてよいと思います。

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