7月10日に投稿した 「邪馬台国と面土国 その6」 で大切なことを書き忘れていたので追加します。倭人伝の「特置一大率検察諸国、諸国畏憚之。常冶伊都国。於国中有如刺史、王遣使詣京都・帯方郡」のうちの「於国中有」、ことに「有」の文字の意味についてです。
通説ではこの国は伊都国のことだと考えられています。 漢文のことはよく分からないのですが、「於国中有」の国を伊都国のことだと理解してよいでしょうか。
通説のように伊都国に居る一大率が、あたかも刺史の如くだというのであれば「常冶伊都国、如刺史」でよいはずで、「於国中有」は必要がないように思えるのです。ことに「有」の文字が加わっているのは一大率が常冶している伊都国以外に国が有り、その国に刺史の如き者が居るという意味のように思えてならないのです。
そうであれば刺史の如き者が居る国はどのような国かということが問題になってきます。私はこの国こそ面土国だと考えています。一大率は伊都国に居て諸国を検察し、「刺史の如き」者は面土国に居て王の遣使が京都(魏都の洛陽)や帯方郡に行く時に津で捜露するというのです。
王とは倭国王、すなわち卑弥呼・台与のことです。卑弥呼・台与の使者を津で捜露(捜し出して露わにする)するとは尋常ではありません。女王と対立するような機関、あるいは権威が存在しているようです。
私は捜露の行なわれる津がミナト(港・湊・水門)と呼ばれていたことから面土国(ミナトノクニ)という国名が生まれたのであり、「刺史の如き」者は帥升の140年後の子孫だと考えます。その面土国は筑前宗像郡であり、面土国王のはるかな子孫が宗像氏だと考えます。
西島定生氏は面土国が実在したことが文献学的に実証されない限り、「架空の国の実在地を求めることになる」とされていますが、「於国中有」の4文字をどう解釈するかで、文献学的に実証されることにもなります。漢文が分からないので自信が持てません。皆さんの考えをお聞きしたいと思います。ぜひともコメントを下さい。この4文字の解釈によっては歴史が変わって来ます。
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