ホノニニギ(火之邇邇芸)は威風堂々と高千穂の峰に降臨しますが、徳川時代の儒学者・林羅山は天孫の降臨先が大和ではなく、西の草深い僻地の日向であるのはおかしいといぶかしんでいます。
日向は後世の薩摩・大隈・日向の3ヶ国の総称ですが、私はこの3ヶ国を倭人伝の侏儒国だと考えています。倭人伝の方位・距離の起点は宗像郡(面土国)の土穴・東郷付近ですが、その南四千里(260キロ)といえば肥後と薩摩の国境になります。天孫降臨では侏儒国に女王国の支配が及んだことが語られています。
オオクニヌシの国譲りで銅鐸の分布圏が併合されました。また先の投稿の『大気津比売』で述べたように、スサノオのオオゲツヒメ殺し、あるいはツキヨミの保食神殺しは狗奴国が併合されたことが語られています。そうすると残るのは南九州の侏儒国だけですが、天孫降臨とはその侏儒国が併合されたということです。
ホノニニギは「筑紫の日向の高千穂峰」に降臨したとされていて、高千穂の峰については様々な説がありますが、本居宣長(1730~1801)は『古事記伝』で高千穂は二説あり、どちらか決めがたいと述べています。
「彼此を以て思へば、霧嶋山も、必神代の御跡と聞え、又臼杵郡なるも、古書どもに見えて、今も正しく、高千穂と云て、まがひなく、信に直ならざる地と聞ゆれば、かにかくに、何れを其と、一方には決めがたくなむ、いとまぎらはし。
その他にも大分県の九重山(久住山)とする説もあります。神の降臨する山はその地方の主要河川の源流なっていて、複数の国の国境にあります。ニギハヤヒの下った河内の哮が峰、スサノオの下った出雲と伯耆の境の船通山、イザナミの下った出雲と備後の境の比婆山などはその例です。
高千穂の峰もそのような場所が選ばれています。換言するとそうした条件を備えていれば何処でも高千穂の峰になり得るのです。霧島山の場合には薩摩・大隈・日向3ヶ国の国境地帯に位置していることから降臨の地とされています。宮崎県臼杵郡の場合も豊後・日向・肥後の国境地帯に位置しています。
日向神話は霧島山を中心にして展開していきます。ホノニニギの物語は薩摩の女性を妻問い(求婚)した物語であり、ホホデミ(穂々出見)の物語は大隈の女性を妻問いした物語のようです。神武天皇の東遷は日向が出発地になっています。
しかし宮崎県臼杵郡の高千穂も無視できません。私は豊後は女王国であり日向は侏儒国だと考えていますが、天孫降臨が侏儒国の統合を意味するのであれば、臼杵郡が真っ先に統合の対象になるはずです。その場合には臼杵郡が降臨の地になってもおかしくありません。
熊本県八代と大分県臼杵を結ぶ臼杵ー八代構造線(九州山地)は、九州を南北に分けていて、西の八代側では「三太郎の険」と呼ばれる難路が肥後を南北に分断し、東の臼杵側では豊後と日向の国境山地を形成しています。その中央には阿蘇山があります。
臼杵郡の高千穂はその臼杵ー八代構造線上の交通の要衝で、豊後・日向・肥後の3国を結び付ける場所に位置しています。この地を確保すれば熊襲・隼人の国である侏儒国を統合するための前進基地になります。
私は天孫降臨には肥後を南下して薩摩に至るものと、日向を南下して大隅に至るものとの2つのルートがあったと考えています。肥後を南下するルートでは霧島山が高千穂の峰とされていますが、日向を南下するルートでは臼杵郡の高千穂とされているのでしょう。
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