2009年12月30日水曜日

天孫降臨 その1

タカミムスヒ(高御産巣日神)は倭人伝の大倭であり天照大神は台与です。またオモイカネ(思金神)は大夫の難升米であり、ホノニニギ(邇邇芸命)は台与の後の男王です。『梁書』『北史』に「其の後また男王を立て、并(あわ)せて中国の爵命を受ける」とありますが、この男王が神話のホノニニギです。

ホノニニギには天孫降臨の伝承があります。降臨とは神の住む天から人間の住む地上の降りるということですが、具体的にはこの男王の孫が初代の天皇になるという物語のようです。その前段階がオオクニヌシの国譲りになっています。

出雲には倭国統一を説得する使者が派遣されますが、『古事記』ではアメノホヒ(天菩比)はオオクニヌシに媚びついて三年経っても復命せず、アメノワカヒコ(天若日子)は自分が出雲の王になろうとして、八年経っても復命しなかったとされています。このころ女王国内に、この画策に反対している者がいました。一書は政治に関与することの 許されない庶民である「草木」さえも陰で批判したとしています。

一書に言う。天神は經津主神、武甕槌神を遣わして、葦原中国を平定させた。時に二神は「天に惡い神が居て名を天津甕星と言う。またの名は天香香背男。まずこの神を誅殺して、その後に下って葦原中国を平定したい」と言う。

画策に反対しているのがアマツミカホシ(天津甕星)、またの名がアメノカカセオ(天香香背男)だというのですが、私はこれを出雲の併合に反対しているのではなく、台与の退位、つまり女王制度を廃止しようとする動きに反対しているのだと考えています。

反対しているのは物部氏の一部ではないかと思っています。物部氏の祖のニギハヤヒハには多くの従者を従えて河内の哮が峰に下ったという伝承がありますが、『先代旧事本紀』に見える従者の名を見ると「天津」が付くものが多く、また「赤」や「ら」の音(浦・占・麻良・原)を含むという共通性があります。
 
船長・舵取り  天津羽原・天津麻良・天津真浦・天津赤麻良・天津赤星
五部人     天津麻良・天勇蘇・天津赤占・天津赤星
  
天にいる悪い神のアマツミカホシ、またの名はアメノカカセオにも似た点が見られます。アメノカカセオは星の神とされていますが、五部人の天津赤星も星に関係する名で、『先代旧事本紀』は天津赤星を「筑紫の弦田物部の祖」としています。

筑紫弦田物部の故地は鞍手郡鞍手町鶴田とされています。アマツミカホシ、またの名はアメノカカセオもやはり遠賀川流域に居た物部(二ギハヤヒ)の一族であり、ニギハヤヒは台与の退位に反対したのでフツヌシ・タケミカズチの討伐を受け、河内に下ったと考えることができそうです。

フツヌシは物部氏の祀る剣が神格化されたものだと考えられていますが、これだと物部氏の祀る剣が、同じ物部氏の祖のニギハヤヒを討伐するという矛盾が生じます。物部氏には理解できない面が多く推論になりますが、ニギハヤヒの同族の一部が台与の退位に反対したため追放されたのではないかと思っています。

『梁書』『北史』に「其の後また男王を立て、并(あわ)せて中国の爵命を受ける」とあるのは、こうした動きに対処するために台与と男王が同時に立てられ、それを魏が認めていたのだと考えています。

女王国内にそうした動きがありましたが、『日本書紀』本文ではフツヌシとタケミカズチが出雲に派遣されて国譲りをさせます。それが近畿や北陸にまで及んだことは前々回に述べました。

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