2009年12月7日月曜日

八岐大蛇 その4

スサノオは面土国王ですが、銅戈を配布した部族に擁立されて倭国王になりました。スサノオは銅戈を配布した部族でもあります。そのスサノオは出雲でも活動しますが出雲の銅戈は1本だけで、その活動ぶりと出土した銅戈数はアンバランスです。

ところが大阪湾沿岸には「大阪湾形」と呼ばれる銅戈が見られ、出雲神話のスサノオには大阪湾形銅戈を配布した部族が含まれていることが考えられます。和歌山県有田市山地では大阪湾形銅戈6本が出土しており、近くにはスサノオの子の五十猛を祭る伊太祁曾神社があり、樹種を蒔いたという伝承があります。また和歌山県内には熊野本宮大社を始めとして多くのスサノオ伝承があります。

長野県中野市の柳沢遺跡で銅鐸5個と大阪湾形銅戈6本が、九州形銅戈1本と共に出土して注目されていますが、大阪湾形銅戈6本の中には和歌山県有田市山地のものと同じ斜格子文、複合鋸歯文を持つものが見られて、両遺跡に関係のあることが考えられています。

信濃の九州形銅戈はこれで2本になりましたが、2本の九州形銅戈は面土国王と直接の関係があり、6本の大阪湾形銅戈は大阪湾沿岸を介した間接の関係が有ったことが考えられます。信濃にはスサノオの伝承はないようですが、諏訪大社の祭神タケミナカタを筑前宗像と結びつける説があります。

これらの事を見ると神話の出雲は近畿から北陸にかけての地域も含まれていると考えるのがよさそうです。つまり倭人伝に見える、女王国の東の海を渡った所にある「倭種の国」が、神話では出雲として捉えられているのです。私は倭人伝に見える「船行一年」を面土国から本州の東端に至るのに 一年を要するのだと理解しています。

兵庫県神戸市桜ヶ岡遺跡の銅鐸14個と共に出土した大阪湾形銅戈7本や、神戸市保久良遺跡の1本などについてはスサノオとの関係が見られませんが、『播磨国風土記』に見られるようにアシハラシコオ(オオクニヌシの別名)や天之日矛・伊和大神の伝承のために消滅してしまったことが考えられます。

長野県柳沢、神戸市桜ヶ岡のいずれも銅鐸と共伴しており、そこは近畿式銅鐸の分布する地でもあります。大場磐雄氏は『銅鐸私考』で、銅鐸を使用した氏族を大神氏(大三輪氏)・加茂氏などの「出雲神族」だとしています。出雲神族とはオオクニヌシに系譜が連なるという伝承を持っている氏族という意味で、銅鐸の分布している地域にはオオクニヌシの伝承があります。

倭国大乱は近畿・北陸地方にまで波及していった可能性があります。この地方にはヤマタノオロチの伝承がないので推察になりますが、もしも争乱が起きたのであれば、それは近畿式銅鐸を配布した部族と大阪湾形銅戈を配布した部族の対立であったはずです。

このような推察をするのは紀伊(和歌山県)が『古事記』でオオナムチ(オオクニヌシの別名)がスサノオの娘のスセリビメを妻問い(求婚)する神話の舞台になっているからです。神話の舞台は「木の国」となっていますが、紀伊のことです。

根の堅洲国のスサノオからさまざまな試練を受けたオオナムチは、鼠やスセリビメの助けを借りてこれを乗り切り、スセリビメと生大刀・生弓矢・天の沼琴を手に入れ、大国主になるという物語です。出雲のヤマタノオロチの神話はスサノオがクシイナタビメを妻問いしますが、紀伊ではオオナムチがスサノオの娘を妻問いしています。

私は銅鐸分布圏では大きな争乱は起きなかったと考えていますが、オオナムチがスサノオから試練を受けることが、倭国大乱が紀伊や信濃に波及したことを表していると考えます。その結果、近畿式銅鐸を配布した部族が王を擁立しますが、その王がオオクニヌシとされるようになると考えます。

こうして『日本書紀』本文に見えるオオクニヌシをスサノオの児とする伝承が生まれたと考えますがこれは銅鐸を配布した部族の伝承で、他の一書や『古事記』の六世孫とするものは銅矛・銅剣を配布した部族の伝承でしょう。銅剣を配布した部族の伝承だと考えるのがよさそうです。

0 件のコメント:

コメントを投稿