2010年3月1日月曜日

火の神、迦具土 その2

『後漢書』に「倭國の極南界なり」とあるのは大夫と自称した奴国王の使人の国ですが、それは豊後の直入郡です。直入郡は一世紀にあっては倭國の極南界であり、三世紀にあっては「女王の境界の尽きる所」でした。

イザナギに斬殺されたカグツチの体や血潮から神々が生まれます。その多くは山の神であり、その神名からは磐・根・石など大地が連想され、イザナギが禊をして生んだ子神のような、海を思わせるものが全くありません。

これはイザナギの神話が海岸部で生まれたのに対し、カグツチの神話は山岳部で生まれたということでしょう。特に『古事記』に見えるカグツチの体から生まれる八柱の山津見神についてはこのことが言えます。小学館編の日本古典文学全集『古事記』は次のように解説しています。

正鹿山津見神 = 坂の神
淤縢山津見神 = 下る所の神
奥山津見神   = 奥山の神
闇山津見神   = 谷の神
志芸山津見神 = 繁山の神
羽山津見神   = 麓の山の神
原山津見神   = 高原の神
戸山津見神   = 外山の神

これらの山の神が全てカグツチの身体から生まれたとされているのは、この神話が相当に大きな山を舞台にして生まれたことを思わせます。私は『後漢書』に見える奴国王の使人の国である豊後の直入郡が、阿蘇の外輪山の裾野に位置していることから、その山を阿蘇山だと考えています。

小学館編日本古典文学全集『古事記』が言うように、原山津見が高原の神なら、それは阿蘇の火口原の宗族だと考えることができます。戸山津見は阿蘇の外輪山の宗族だと考えることができ、羽山津見は外輪山の麓の宗族だと考えることができます。

カグツチは「肥の国」の神でもあり、火の山・阿蘇の神でもあって阿蘇地方の部族だと考えることができそうです。前述のように私は狗奴国は肥後だと考えていますが、カグツチは狗奴国の部族のようです。とすると倭人伝の次の文との関連が考えられてきます。

倭女王の卑弥呼は狗奴国の男王の卑弥弓呼と素より不和。倭は載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く

倭人伝は女王国と狗奴国は元来から不和の関係にあったとしています。「卑弥弓呼素」については五文字全体を人名とする説もありますが、「素」は「もとより」という意味で、狗奴国と女王国の不和の関係は以前から続いていたとする説に従いたいと思います。

それでは何時ごろから不和の関係が始まるのでしょうか。私は紀元前180年の箕氏朝鮮、108年の衛氏朝鮮の滅亡で、玄界灘・響灘沿岸に渡来人の流入があった時以来だと考えています。女王国と狗奴国の不和の原因は「渡来系弥生人」と土着の「縄文系弥生人」の対立であり、対立は紀元以前にすでに始まっていたと考えます。

「縄文系弥生人」を換言すると後世に「熊襲」と呼ばれるようになる人々です。3世紀の女王国は魏から黄幢・詔書を授けられたことを大義名分にして狗古智卑狗を殺すようですが、カグツチを生んだことによりイザナミが神避りするのは、狗奴国(熊襲)との争いで奴国が滅んだということのようです。

大夫と自称した奴国王の使人が阿蘇の統治に失敗して争乱が起きますが、銅剣を配布した部族にはこれを収拾する力がなかったようです。イザナギがカグツチを斬殺するのは、争乱を収拾したのは銅矛を配布した部族だということでしょう。それは二世紀初頭のことです。

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