イザナギに追放されたスサノオは高天が原にいる天照大神を訪れますが、それとは別に出雲に降ってヤマタノオロチを退治するスサノオもいます。高天が原のスサノオと出雲のスサノオとは別個のものですが、どちらも倭国大乱のころのできごとです。
これは神話が編年体でなく紀事本末体であるためで、年代とは無関係に複数の史実が物語風に纏められています。そのために天照大神の孫のホノニニギに、スサノオの6世孫のオオクニヌシが国譲りをするというややこしい関係になっています。
高天が原に昇ったスサノオは卑弥呼を共立して、「自女王国以北」の国々(筑前東半)を、あたかも「刺史の如く」に支配するようになり、また津では女王の使者を捜露するようになる面土国王です。
天照大神とスサノオはウケヒ(誓約)の勝負をしますが、ウケヒはあらかじめ神に事の結果を誓っておいて、そのとおりになったかどうかで神意を占う卜占の一種です。ウケヒではスサノオが男を生めば勝ちということになっています。
この神話の根底には魏・蜀正閠論がありそうです。魏・蜀正閠論とは後漢の後継王朝として魏・蜀のどちらが正統かというものですが、魏が正統なら魏から「親魏倭王」に冊封された卑弥呼が正統の倭王ということになります。
蜀が正統だというのであれば後漢から倭王に冊封された面土国王が正統な倭王ということになります。面土国王の側から見れば卑弥呼は大乱を終結させるために妥協して立てた仮の王ということになります。
ウケヒの物語は魏・蜀正閠論に立脚した「幸替え」の物語でしょう。「幸替え」は持ち物を交換することによって幸を得るというものですが、スサノオは天照大神の持ち物の玉から五男神を生み、天照大神はスサノオの持ち物の剣から三女神を生みます。
是に天照大神、須佐之男命に告りたまはく「是の後に生れし五柱の男子は、物実(ものざね)我が物に因りて成れり。故、自から吾が子なり。先に生れし三柱の女子は、物実汝が物に因りて成れり。故、乃ち汝の子なり」と、如此(かく)詔り別けたまいき。
生まれてきた8柱の神はいずれも倭王の後継者として正統であるというのでしょう。スサノオが天照大神の玉から生んだ五男神は銅矛を配布した部族に属している有力な宗族のようで、最初に生れるのがオシホミミです。
オシホミミは卑弥呼死後の男王ですが、銅戈を配布した部族はこれを認めず千余人が殺される争乱になります。ウケヒではオシホミミも倭王の後継者として正統だとされていることになりますが、実際にはそうではなかったということになります。
オシホミミが倭王の後継者として正統ではないのであれば、その子のホノニニギも正統ではないことになります。ホノニニギの正統性を認めるには、オシホミミも正統でなければいけません。
ウケヒの神話は天照大神がスサノオの剣から生んだ三柱の女神も「幸替え」によって倭王の後継者として正統とすることで、オシホミミから神武天皇に至る系譜の正統性を主張していると考えることができます。
天照大神がスサノオの剣から生んだのが宗像三女神ですが、この三女神は銅戈を配布した部族に属していた、有力な宗族のようです。『古事記』は三女神を祭る氏族として筑紫の胸形君をあげ、『日本書記』第三の一書は筑紫の水沼君をあげています。
前述のように豊後の大神氏も宇佐神宮で三女神を祭ったと考えています。宇佐と3女神の関係については様々なことが考えられて、私も纏めあぐねていますが、要は宇佐周辺に銅戈が非常に多いことで説明できると思っています。
ウケヒで勝ったスサノオは勝ちに乗じて乱暴、狼藉を働き、ために追放されます。倭人伝の記述は正始八年で終わっていますが、間もなく卑弥呼死後の争乱の事後処理がおこなわれ、面土国王やそれに加担した者が処罰され面土国王家が滅ぶようです。
同時に中国では司馬氏が魏の実権を握り、やがて晋が成立します。魏・蜀正閠論は意味を持たなくなるのですが、それに連動して部族を統合しようとする動きが出てきます。その結果が出雲の国譲りとなって表れてきます。
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