2010年3月4日木曜日

火の神、迦具土 その3

イザナギがカグツチを斬殺するのは、阿蘇(狗奴国)の統治に失敗して争乱が起き、その争乱を収拾したのは銅矛を配布した部族だということのようです。九州に銅剣が少ないことから見て、銅剣を配布した部族には争乱を収拾するだけの力がなかったことが考えられます。

肥前は佐賀県と長崎県に分かれますが、佐賀県部分には青銅祭器が多いのに、長崎県部分にはなぜか見られません。また肥後でも緑川以北には多いのに、以南には全く見られなくなります。

青銅祭器を使用したのは「渡来系弥生人」であり、3世紀の彼らの国が女王国だと考えていますが、青銅祭器の受け入れを拒否したのが「縄文系弥生人」の熊襲であり、彼らの国が狗奴国です。

『日本書記』ではツキヨミ(月読)がウケモチノカミ(保食神)を殺し、『古事記』では高天が原を追放されたスサノオがオオゲツヒメ(大宜都比売・大気都比売)を殺すという、牛馬・蚕・穀物の化成する物語があります。

私はオオゲツヒメ・ウケモチノカミが殺されるのは、狗奴国の官の狗古智卑狗が殺されたことが語られていると考えています。(10月2日投稿『大気都比売』)また保食神を殺したツキヨミは卑弥呼の弟ですが、卑弥呼姉弟は投馬国(筑後八女郡)の王族ではなかったかと考えています。

筑後八女郡の南は肥後の菊池川流域の菊池・山鹿郡です。狗奴国の官の狗古智卑狗はその名から見て菊池郡と関係があるようですが、国境を接しているために卑弥呼姉弟と狗古智卑狗の間に不和の関係が生じたことが考えられます。

スサノオは銅戈を配布した部族でもありますが、肥後の銅戈の分布を見ると菊池・飽田・託麻・阿蘇の諸郡に見られます。これらは阿蘇の火口原・外輪山を源流とする白川流域と菊池川流域の郡です。『古事記』ではオオゲツヒメに続いてカグツチが生まれたとされていますが、カグツチもオオゲツヒメも白川流域の熊襲だと考えるのがよさそうです。

カグツチの神話はイザナギがカグツチを斬殺することで終っていて、カグツチとスサノオの関係は語られていません。またスサノオがオオゲツヒメを殺すのは高天が原を追放されたころとされていますが時期が特定できません。

こうした矛盾点はありますが、菊池川・白川流域は一世紀にはイザナギ(銅矛を配布した部族)と、2世紀にはスサノオ(面土国王)と、3世紀にあっては天照大神・ツキヨミ(女王国)と不和の関係にあったと考えるのがよさそうです。

そしてカグツチの物語には、スサノオ、すなわち銅戈を配布した部族の介入を考えてみる必要があると感じています。豊後の青銅祭器を見ると筑後川上流域の日田・玖珠郡には銅矛はみられるものの銅戈は見られず、逆に大野川流域の大野・直入郡には銅戈が見られるものの銅矛は見られません

筑後川沿いに銅矛を配布した部族が介入し、大野川沿いに銅戈を配布した部族が介入して争乱が決着したと考えるのです。スサノオは母の居る根之堅洲国に行きたいといって泣いたために追放されますが、争乱が結着すると銅剣・銅戈を配布した部族は、連携して面土国王の帥升を倭王に擁立するようです。そして107年に帥升が遣使することになります。

こうしたことから大野川流域に面土国王との結び付きができるようです。『新撰姓氏録』に「宗像氏・大神氏同祖、吾田片隅命之後也」と見えますが、この大神氏については一般に大和の大神氏(大三輪氏)のことだとされています。

宗像氏は三女神を祭っていますが、『日本書記』に宗像三女神が「宇佐島」に降ったとあることから、宇佐神宮のヒメ大神を宗像三女神とする考えがあります。私は宇佐神宮で宗像三女神を祭ったのは、大野川流域を勢力基盤とするの大神氏だと考えています。

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