2010年3月6日土曜日

黄泉の国 その1

神避りしたイザナミは出雲と伯耆(備後とも)の境の「比婆の山」に葬られたとされていて、ここで神話の舞台は筑紫から出雲に移ってきます。総数三七〇本に近い中細形銅剣c類(出雲形銅剣)が造られ配布されており、銅剣を配布した部族の中枢が出雲に移動したことを表しています。

銅剣の分布から見て、劣勢の奴国が優勢の邪馬台国を支配するについては、中国、四国地方の銅剣を配布した部族の思惑が絡んでいたことが考えられますが、奴国が衰退したことにより、その部族は自立するようになったのでしょう。その結果、山陰で中細形銅剣c類が、瀬戸内では平形銅剣が配布されると思われます。

イザナギは神避りしたイザナミに会いたいと黄泉の国に行きますが、その黄泉の国は死後の世界として語られていて、イザナミの体から八柱の雷神が生まれます。雷神は中細形銅剣c類(出雲型銅剣)の配布を受けた宗族を表しているのでしょう。

黄泉の国の神話には荒神谷遺跡の358本の銅剣を使用した部族と、16本の銅矛を使用した部族のことが語られていることになります。銅矛16本の内の2本は中細形ですが、この2本が黄泉の国のイザナギにあたります。

昨年12月2日に投稿した『八岐大蛇』で、ヤマタノオロチとは「邪馬台のおろ血」であり、それは銅矛を配布した部族だと述べましたが、2本の中細形が黄泉の国のイザナギであり、これがヤマタノオロチの神話の伏線になっています。

言ってみればヤマタノオロチのご先祖はイザナギだということですが、14本の中広形銅矛はオロチに呑まれた娘ということになります。少々話が複雑になりますが、ちゃんと辻褄が合っています。神話には史実が語られているのです。

同じころに358本の銅剣も造られましたが、これが黄泉の国のイザナミです。それまでの出雲の銅剣は多くはありませんが、その出雲に急に400に近い銅剣を配布した大部族が出現したのです。

銅矛を配布した部族にとって出雲に銅剣を配布する大部族が出現したことは、奴国の背後で蠢く、見てはならないもの、おぞましいものが出現したと感じられたのでしょう。それが出雲をイザナミの葬られている黄泉の国とする原因になっているようです。

イザナミが銅剣を配布した部族であれば、銅剣が分布している地域にイザナミを祭る神社があるはずですが、出雲のイザナミの伝承は出雲東部に集中しています。オオクニヌシの伝承は出雲西部に多く、山間部にスサノオの伝承が見られます。

出雲の銅剣を配布した部族の中枢は出雲東部であったと思われます。松江市大庭の神魂神社、東出雲町の揖夜神社、松江市八雲の熊野神社がイザナミを祭神にしています。東出雲町 の揖夜神社の近くには「黄泉比良坂」の伝承地があります。

熊野神社の主祭神はスサノオとされていますが、熊野神社は明治39年の「一村一社」の制の制定まで上の宮と下の宮の二社に分かれていました。上の宮にはイザナミを祭る伊邪那美神社と、8柱の雷神(大雷・火雷・土雷・稚雷・黒雷・山雷・野雷・烈雷)を祭る八所社がありました。

イザナギは黄泉の国のイザナミの姿を見て逃げ帰りますが、上の宮にはその時に生まれた神を祭る五所社(岐神・長道磐神・煩神・開囓神・千敷神)と、久米社(菊理媛・泉守道者)もありました。上の宮は黄泉の国の神話に元づいて祭られています。

イザナミを祭る神社として松江市大庭の神魂神社もよく知られていて、近くにはイザナミの神陵とされているものがあります。出雲国造は古くは大庭に住んで神魂神社を祀っていましたが、この神社は延喜式には見えず、出雲国造が私的に祭っていたのではないかと言われています。

国造はその後、現在地の出雲大社に移ったと言われています。神魂神社の祭神はイザナミであり、出雲大社の祭神はオオクニヌシですが、出雲国造は神魂神社で銅剣の祭祀を継承し、出雲大社で銅鐸の祭祀を継承していると考えることができそうです。

出雲国造はスサノオを主祭神とする熊野神社下の宮で国造交代の儀式を行う慣例になっていましたが、これは銅戈の祭祀を継承していると考えることができそうです。出雲国造は銅矛以外の青銅祭器の祭祀を継承しているとされているのでしょう。

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