イザナギは天照大神に高天が原の統治を、ツキヨミには夜之食国の統治を命じ、スサノオには海原を統治するように命じますが、海原は面土国と考えてよいようです。面土とは港のことであり、港は海原の始まる所ですからぴったりのネーミングです。
神話には面土国王が7~80年間に渡って倭国を支配したと思われる部分がありません。本来ならスサノオが天照大神・ツキヨミよりも先に生まれて活動したことになるはずですが、生まれたのは同時とされています。
イザナギに追放されたスサノオは高天が原に居る天照大神を訪れますが、ここからが倭国大乱以後、つまり卑弥呼が共立されて以後の面土国王と卑弥呼の関係になります。それは後期後半1期で、青銅祭器は広形に変わります。
高天が原に昇っていくまでが、面土国王が倭王として統治した7~80年間に相当しますが、面土国王と邪馬台国、あるいは銅矛を配布した部族とは、あまり良い関係ではなかったようです。この関係は面土国王と卑弥呼の関係に続いていきます。
倭人伝は津で捜露が行われたことを記しています。通説では捜露を行ったのは一大率だとされていますが、私は「刺史の如き」者、すなわち面土国王だと考えています。面土国王は女王の行う外交を監視しており、面土国王と女王の関係は、捜露する者とそれ受ける者という関係にあったと考えます。
中期後半3期(150~180)には大量の中広形銅戈b類が配布されています。それに対抗して中広形銅矛b類も大量に作られており、両部族の間に対立・緊張が見られたことを思わせます。
その部族の緊張の表れが2世紀末の倭国大乱ですが、これがスサノオの追放に繋がっていきます。『古事記』は次のように記しています。
其の泣く状(さま)は青山は枯山如(からやまな)す泣き枯らし、河海は悉く泣き乾しき。是を以って悪しき神の音、狭蠅如(さばえな)す皆満ち、万の物の妖悉(わざわいことごと)に発りき。故、伊耶那岐大御神、速須佐之命に詔りたまはく、「何の由以(ゆえ)にか汝は事依(ことよ)させし国を治めずて、哭きいさちる」とのりたまいき。爾に答へて曰さく「僕は妣(はは)の国、根之堅州国に罷(まか)らむと欲が故に哭く」とまおしき。
スサノオが青山を泣き枯らし河海を泣き乾したので、悪い神が現れさまざまな災いが起きたというのですが、倭国大乱のことが述べられています。そこでイザナギが泣く理由を聞くと、死んだ母の住む根之堅州国に行きたいと思って泣くのだと答えます。怒ったイザナギはスサノオを追放します。
九州の中細形銅剣は遠賀川流域・豊後など北部九州の東部に分布しています。これがイザナミであり、銅剣を配布した部族を中心にして形成された国が遠賀川流域の奴国だと考えています。奴国がイザナミの住む「根之堅洲国」です。
投稿の『淤能碁呂島』で述べたように銅剣を配布した部族と銅矛を配布した部族は、対立する関係にあったと考えています。イザナギ・イザナミの島生みで再度柱を回りイザナギが先に声をかけたのは、両部族間に合意があって奴国王の統治が認められたということでしょう。
スサノオがイザナミを「妣(はは)」と言っているのは、イザナギとの関係がイザナミと同じであったということでしょう。2世紀末の大乱は銅矛を配布した部族(イザナギ)と銅戈を配布した部族(スサノオ)の対立ですが、その結果、投馬国の王族で中立の立場にある卑弥呼が王に共立されるようです。
卑弥呼を共立した面土国王は、あたかも中国の刺史が州を支配するように「自女王国以北」を支配するようになりますが、面土国王が「自女王国以北」を支配するについても、卑弥呼と対立するような関係にあったようです。
「自女王国以北」には奴・面土・不弥・伊都などの国がありました。スサノヲが根の堅洲国に行きたいと言ったのは、面土国王がこれらの国を女王に対して半ば独立したような状態で支配していたということでもあるようです。
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