黄泉の国から逃げ帰ったイザナギは「竺紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊払いをして22柱の神を生みます。私の年代観では後期前半1期(90~120)になりますが、イザナギが神を生むのは中広形銅矛のa類が作られ、配布されたということでしょう。
この小戸の阿波岐原については「筑紫の日向」とあることから、宮崎市阿波岐ヶ原町・江田神社、宮崎市住吉町・住吉神社などに伝承がありますが、イザナギは銅矛を配布した部族ですから、青銅祭器のない日向が神話の舞台になることはないでしょう。
直日・禍津日神を祭る福岡市警固町の警固神社、筒之男3神を祭る福岡市住吉町の住吉神社、綿津見3神を祭る糟屋郡志賀島の志賀海神社などのある、博多湾周辺と考えるのがよいようです。これは貝原益軒や宗祇法師も言っていることで、ほとんど定説になっています。
私は須玖岡本遺跡で銅鏡35面以上と共に葬られていた人物も、イザナギのモデルになっていると見てよいと思っています。周辺に小戸や橘といった地名があることを指摘する人もいます。
禊払いで22柱の神が生まれますが、その多くは銅矛を使用した宗族と考えてよいようですが、天照大神・ツキヨミ・スサノヲの3神は銅矛を使用した宗族ではありません。何度も述べてきたように天照大神は卑弥呼であり、ツキヨミは卑弥呼の弟であり、スサノヲは面土国王です。
3神の誕生以後、神話は部族の歴史・系譜ではなく、古墳時代に活動する氏族の前史になってきます。そこに登場してくるのは古墳時代の氏族の祖であり、その中には卑弥呼のような特定の個人の場合もあります。しかしこの3神は次の高天が原神話の主人公なので禊払いで生まれたとされています。
ただしイザナギ・イザナミに応対する時のスサノヲは銅戈を配布した部族ですが、天照大神・ツキヨミに応対する時のスサノヲは面土国王と考えなければならないようです。倭国大乱で卑弥呼が共立される以前と以後とでは神話の内容が変わってきます。
イザナギは天照大神に首飾りの玉を与えて高天が原の統治を命じますが、その玉の名を御倉板拳之神(みくらたなのかみ)と言っています。倉の棚の上に安置して崇めたことによる神名ですが、天照大神とスサノヲとのウケヒでも天照大神の玉から五男神が生まれていて、玉は倭王である卑弥呼を象徴しているように思われます。
卑弥呼は倭国大乱で銅矛・銅戈を配布した部族によって共立されますが、イザナギが天照大神に玉を与えたのは、卑弥呼擁立を主導したのが銅矛を配布した部族であることを表しているのでしょう。
ツキヨミには夜之食国の統治が命ぜられますが、天照大神が昼を表し、ツキヨミは夜を表しており、弟が卑弥呼を補佐したことが語られていると考えることができます。私は夜之食国を投馬国と考えることができると思っています。
太陽が東から昇ると朝になり、西に沈むと夜になりますが、高天が原は東にあり、夜之食国は西にあったことが語られているようです。それは広大な筑紫平野(筑後平野・甘木平野・佐賀平野)の光景のように思われます。
太陽は朝は日田(邪馬国)の山並みから顔を出し、夕方には有明海の彼方に没するというような光景が浮かんできます。日の昇るところに高天が原(邪馬台国)があり、日が沈むところに夜之食国(投馬国)があると説明されているようです。私は投馬国は八女郡を中心にした筑後だと考えています。
スサノヲは面土国であり銅戈を配布した部族でもあります。またイザナミは奴国、あるいは銅剣を配布した部族のようです。イザナギに海原を統治するように命ぜられたスサノヲは、妣(死んだ母)の住む根の堅洲国に行きたいと言って泣き続けます。
面土国王は戸数二万の奴国に支持されており、七万の邪馬台国とは対立していたことを表していると思われます。その対立が倭国大乱や卑弥呼死後の争乱の原因になっているようです。
対立関係にある奴国・面土国と邪馬台国を、統一国家として纏めることができたのは投馬国だけだったでしょう。卑弥呼姉弟は投馬国の王族だったのではないかと考えていますが、その故に卑弥呼が倭王になり、それを弟が補佐したと考えます。
イザナギが天照大神に首飾りの玉を与えたのは、銅矛を配布した部族が投馬国の王族の卑弥呼を倭王に擁立したが、それを奴国・面土国や銅剣・銅戈を配布した部族が認めたということでもあるようです。
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