倭人伝の記述と神話がどのように似ているかを見てきましたが、天の岩戸の神話と卑弥呼の死の前後の様子とは非常によく似ています。主として倭人伝の人物と神話の神との関係を述べましたが、安本美典氏は一連の著書で人物以外にも似ている点の多いことを具体的に述べられています。
都市牛利・以聲耆・載斯烏越についても触れてみたいのですが、残念ながらこの3人には具体的な動きがなく特徴がありません。いずれにしても天の岩戸から天孫降臨にかけて活動する神に当たると考えてよいようです。天石門別神や玉祖命・天児屋命・布刀玉命などを考えてよいでしょう。
私がこのような考えを持つに至ったについては、安本氏の著書に接したことが大きいのですが、違う点もあります。そのひとつは3世紀にも面土国が存在しており、スサノオは面土国王だということです。面土国の存在を認め、それを解明するという視線で神話に接すると、神話が史実を含んでいることがよく理解できるようになってきます。
しかし神話には史実と創作とがないまぜになった危うさがあって、創作部分にこだわると「神話の迷路」に迷い込むことになります。「神話の迷路」とは後世に加わった創作部分に、さらに恣意的な解釈を加えるということです。考古学・民族学など実証を重視する分野と神話との間には、越えがたい障壁がありますが、その原因の一つに「神話の迷路」に迷い込んだ説が氾濫していることがあるようです。
倭人伝と神話の関係を見てきましたが、ここでいったん神話を終わり、次回から年代論に入ります。年代論は地味であまり面白くないかもしれませんが、邪馬台国の位置と同様に大事なことのようです。それに関して西島定生氏は『邪馬台国と倭国』(吉川弘文館、平成六年)で次のように述べています。
日本の歴史を考えるばあいに、日本の国内だけに目を向けていては、十分な理解が得られないと言うことである。これが、大陸あるいはヨーロッパの歴史であると、そのようなことは常識であって、一つの国だけで独自の歴史が展開するということはなく、当然周辺の諸民族ないしは諸国家と関係しながら、その歴史が進行するのである。
ところが日本のばあいには、幸か不幸か島国であって、大陸とは海を隔てているために、ともすれば、日本の歴史というものは日本だけで完結しているという考え方が意識的、無意識的に生じやすい。もちろん大陸との交渉があったことは何人も知っていながらも、なおかつ基本的には、日本の国内だけで歴史の進行が行われているごとく考えやすい。
西嶋氏は中国を中心とした「東アジア世界」という領域を設定し、その中で日本の歴史を再考察すべきだと提唱されています。西嶋氏は「東アジア世界」を特徴付けるものとして漢字・儒教・仏教・律令制をあげ、これらの文化が伝播してきたことにも冊封体制が貢献をしていると見ています。
東アジア世界を結び付けているのが冊封体制です。紀元前108年、前漢の武帝が朝鮮半島に楽浪郡を設置して以後、倭人も冊封体制に組み込まれて中国の影響を強く受けるようになります。しかし冊封体制は外交儀礼のように思われていて、あまり意識されていないようです。
弥生時代の日本は中国を中心とする「東アジア世界」の一員でしたが、西嶋氏の述べられるように日本では「それでもなおかつ基本的には、日本の国内だけで歴史の進行が行われているごとく考え」られています。この点を追及してみたいと思っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿