弥生時代の実年代は流動的で研究者によって違いがあります。そこで私は弥生時代を180年ごとに大区分し、これをさらに90年ごとに中区分し、30年ごとに小区分して実年代を推定することにしています。もちろん時代区分は今日までが中期で明日からは後期になるというような機械的なものではありませんから、これはあくまでも通説に準拠した目安に過ぎません。
そこで各期の境の前後には三〇年間のグレーゾーンを設定することにしています。弥生時代の終わりの場合は、270年の前後の各15年間で、255年から285年までの30年間の或る時期だと考えるわけです。弥生時代の始まりも紀元前255年から285年までの、或る時期だというふうに考えます。
例えば奈良県箸墓古墳の外提から出土したという「布留0(ふるゼロ)式土器」の場合、後期終末か古墳時代初頭の土器ということなので、その実年代は255年~285年になるだろうと判断するわけです。従って国立歴史民族博物館(千葉県佐倉市)の発表した炭素14年代測定法による240~260年という年代は、15~25年ほど古く見ていると判断するのです。
私は邪馬台国は北部九州に在ったと考えていますので箸墓が卑弥呼の墓だとは考えませんが、いずれにしても布留0式土器は、卑弥呼の死んだ247年よりも後のものということになります。私は266年の倭人の遣使は神武天皇の岡田宮(筑前遠賀郡)滞在中に行なわれたと考え、箸墓古墳は神武天皇の墓だと考えています。
弥生式土器は1世代1形式と言われていますが、那珂通世は『上世年紀考』の中で、孔安国が『論語』に「三〇年を世という」としていることや、許慎が『説文』で「三〇年を一世とする」としていることを紹介しています。30年ごとに小さな文化の変化が起きると考えなければならないようです。
例えば後期後半の場合、倭国に大乱の起きた180年から三世紀後半の270年までの90年間だと判断するわけですが、この90年間をさらに30年ごとに3区分すると、1期は180~210年に、2期は210~240年に、3期は240~270年になります。
後期後半1期は倭国大乱で王の居なかった時期だと考えることができ、卑弥呼はまだ即位していなかった可能性があります。2期は卑弥呼が確実に王であった時期に当たります。3期は台与とその後の男王の時代になります。そして270年に弥生時代が終わることになります。
私はこの180年ごとの大区分、90年ごとの中区分、30年ごとの小区分は根拠のない数ではないと考えています。それには人間のバイオリズムが関係しているようです。一般家庭でも30歳までには親になり、60歳で孫を持つことになって、30年で世代交代が起きています。
私は自分を運命論者とは思っていませんが、90歳になったころに死ぬことは間違いありません。90年は人間の寿命に当たります。180年は祖父母から聞いたことを孫に語って聞かせる期間に相当します。文字のない時代には歴史は口伝されましたが、それは180年が限度でしょう。
倭人伝に「其人壽考。或百年、或八九十年」とありますが、倭人の寿命は100年、あるいは8~90年だとされています。平均寿命は生活環境に左右されて変わりますが、寿命は80~90年で変わりません。
これは人間のバイオリズムであって、それを人間が変えることはできません。歴史も人間のバイオリズムに合わせて変わっていくようです。那珂通世は30年を一世代と考えていますが、およそ30年ごとに世代交替があり、90年で生きている人間が全部入れ替わって過去の歴史が忘れられ、それにつれて時代が変わっていくようです。
幕末のペリーの来航から1945年の終戦までの、およそ90年間もその例だと考えます。列強諸国に「追い着け・追い越せ」の文化が破綻したのが1945年であり、その後には「東洋の奇跡」と言われている経済発展を遂げることになります。
そして6世代180年で社会が一変するようです。中国の歴史を見ても、およそ90年ごとに歴史を大きく変えてしまうような事件が起きたり、名君、賢臣が現れ、あるいは逆に暗君、愚臣が現れたりしているように見えます。そして事実として前漢・後漢王朝は実質180年間で消滅しています。
それに連動して倭国にも動きが出てきます。前々回紹介したように西島定生氏は中国を中心とした「東アジア世界」という領域を設定し、その中で日本の歴史を再考察すべきだと提唱されていますが、倭国の歴史は中国・朝鮮半島の歴史に連動しています。
それは90年あるいは180年ごとに変化しています。表は中国・朝鮮半島の歴史に連動した、私の考える前期後半以後の時代区分です。
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