2010年4月1日木曜日

因幡の素兎 その3

その「気多の前」、つまり因幡国気多郡(鳥取市)の長尾鼻の西の付け根に青谷上寺地遺跡があります。同遺跡では殺傷痕のあるものを含む100余体の人骨が、溝の中に放り込まれた状態で出土しています。

遺体の腐敗が進んでいたようで骨がばらばらになっているということです。それには女性や10代の少年も見られますが、幼児のものはないということです。この人骨の年代は倭国大乱のころ考えられており、2世紀末の倭国大乱と結びつける考え方があります。

倭国大乱は霊帝の光和年中(178~183)に起きています。先にヤマタノオロチは倭国大乱が山陰に波及してきたことが語られていると述べ、100余体の人骨はその犠牲者ではないかと述べましたが、これはこの考えに従っています。

推察になりますが、兎が鮫を騙して裸にされたというのは青谷上寺地の100余人が殺されということであろうと思っています。出雲から因幡にかけての山陰地方にも倭国大乱が波及してきて部族の間に抗争が起きたのでしょう。

青谷上寺地では破片ですが突線鈕4式、または5式の銅鐸が出土しています。また2000年には「聞く銅鐸」の破片も出土していますから、銅鐸を配布した部族に属していたと考えることができます。

八十神は海水を浴びるように教えて兎を苦しめますが、オオアナムチは真水で洗って蒲の穂綿に包まるように教えてこれを助けます。青谷上寺地の人々をさらに苦しめたのが銅剣を配布した部族の八十神であり、助けたのが銅鐸を配布した部族のオオアナムチだということになりそうです。

私は兎を銅鐸を使用した宗族だと考えていますが、別の考えを述べてみたいと思います。このような考えが氾濫しているために神話は史実ではないとされていることは承知していますが、あえてそれを述べてみます。

青谷上寺地では木製の銅戈の鞘が出土していますが、鞘には2つの小穴が有り、差し込んだ銅戈が抜け落ちないように工夫されています。中期後葉のものとされるその鞘は、大きさや形から見て中細形銅戈が収められていたようです。

肝心の銅戈がありませんが、青銅祭器が他の遺物と共伴する例はありません。鞘があるのは青谷上寺地が銅戈を配布した部族に属していた可能性があるということでしょう。

九州で作られた中細形銅戈は信濃で2本が出土しており、出雲大社の境外摂社・命主神社の背後でも1本が出土しています。青谷上寺地に実際に銅戈が有ったのであれば、銅戈の分布という点で、出雲と信濃の中間地点が青谷上寺地だということになります。

青谷上寺地の人々は漁労・農耕・狩猟を行う一方で、交易を盛んに行なっていたようです。交易は北陸から北部九州・瀬戸内、さらには朝鮮半島・中国にまで及んでいたことが、その出土品から知られています。

青谷上寺地は出雲と共に、北部九州と信濃を結ぶ日本海航路の中継基地・交易拠点になっていたことが考えられますが、こうしたことから北部九州の面土国王との同族関係が生じていたと考えることができそうです。

私は銅戈を配布した部族が神格化されてスサノオになると考えていますが、そうであれば青谷上寺地にもスサノオの伝承があったと考えることができます。因幡・伯耆にはヤマタノオロチの伝承はありませんが、鞘に収められていた銅戈がオロチを退治するスサノオのモデルになっている可能性もあります。

青谷上寺地が面土国王と同族関係にあったために周囲の反感を買い、100余人が殺されたようにも感じていますが、それが兎が鮫を騙して裸にされたと語り伝えられているとも考えられます。

そうであれば紀伊の神話のように「気多の前」はスサノオの住む根之堅州国であり、八上比売はスサノオの娘ということになりそうですが、そうはなっていません。青谷上寺地が銅戈を配布した部族に属していたのなら、スサノオが殺されたという神話になりそうです。

ヤマタノオロチを退治する筈のスサノオが殺されたというのでは神話になりません。そこでたまたま隣の高草郡の白兎海岸に兎に似た小島があったので、スサノオが兎になり、周囲の波蝕棚が鮫になったと考えることができそうです。

それをオオアナムチが助けたことにより、後にオオクニヌシはスサノオの後継者とされるようになることが考えられます。ダイコク様が助けたのは白兎ではなく、実はスサノオであったという落ちになりますが、これが事実かどうかは自信がありません。

1 件のコメント:

  1. やはり古事記神話の謎は天皇礼賛だけではないいびつな構造をしているある種の正直さが心惹かれるのでしょう。
    古事記神話の構造をザックリいうと高天原の2度の地上への介入がその構造の中心となっている。1度目はイザナギとイザナミがオノゴロ島を作り、国生み神生みを行い、次にイザナミのあとを継ぎスサノオが
    根之堅洲国で帝王となる。第二の高天原の介入はアマテラスによる九州への天皇の始祖の派遣とそれに続く天皇を擁する日本の話でこれは今も続いている。
    これらの2度の高天原の介入に挟まれた形で出雲神話がある。天皇の権威を高めるのに出雲があまり役に立たないのに古事記で大きく取り上げられている。その神話の構造の歪さに我々は心を惹かれる。
    たとえば天皇も大国主も大刀(レガリア)の出どころはスサノオでありその権威の根源を知りたくなってしまう。そうなると島根県安来市あたりの観光をしてしまいたくなる。

    返信削除