2011年5月29日日曜日

高天が原神話 その1

大場磐雄氏は昭和24年に発表した『銅鐸私考』で、銅鐸を使用したのはミワ氏・カモ氏などの「出雲神族」だとし、銅矛を使用したのは阿曇氏であり、銅剣を使用したのは物部氏だとしています。

部族が母系血縁集団であることはよく知られているところですが、弥生時代後半は支配者階層の通婚で形成された部族が首長を擁立する「部族制社会」でした。部族は通婚によって同族関係の生じた宗族に青銅祭器を配布することによって団結しました。

しかし宗族は男系(父系)の血縁集団なので部族の始祖も男性でなければならず、男性の神話・伝説上の部族の始祖が創作されました。大場氏が銅矛を使用したのは阿曇氏だとするのは、阿曇氏のなど玄界灘沿岸の氏族の遠祖を中心にして形成された部族が銅矛を配布したということでしょう。

その神話・伝説上の男性始祖が阿曇氏の祭る綿津美3神を生んだとされているイザナギだと考えます。それに対してイザナミは銅剣を配布した部族が神格化されたものであると同時に、その部族に擁立された奴国王でもある考えています。

しかしイザナミは女神なので、男神を始祖にする必要からイザナミは神避り(かむさり、神ではなくなること)して黄泉の国に居ることになっています。これがスサノオのオロチ退治で草薙剣が出現する神話の伏線になっているようです。

天皇位の象徴の「三種の神器」は弥生時代の部族の象徴でもあると考えますが、草薙剣は銅剣を配布した部族(イザナミ)を象徴しているようです。スサノオが草薙剣を得たことで、銅剣を配布した部族の神話・伝説上の始祖は女神のイザナミから男神のスサノオに変わるようです。

九州の剣形祭器は極めて少数で、分布も遠賀川流域と大分平野周辺に限られています。九州の銅剣を配布した部族は極めて劣勢でしたが、出雲で中細形銅剣C類が鋳造されるころ(中期末)に奴国王が滅んで九州から銅剣が姿を消すと考えられます。

中広形銅戈は銅矛を凌駕する数が出土していますが、これは銅戈を配布した部族が銅剣を配布した部族を吸収・併合したことによると考えます。スサノオがイザナギ・天照大神とは対立し、イザナミに接近するのは2部族が統合されたことによるようです。

吸収・併合された銅剣を配布した部族の中に遠賀川流域の物部氏の遠祖がいたと考えています。『古事記』の火の神カグツチの神話では物部氏の祭るフツヌシと中臣氏の祭る神タケミカズチが異名同神とされていますから、中臣氏の遠祖も同様の立場にあったことが考えられます。

奴国王が滅ぶと物部氏・中臣氏の遠祖は、銅戈を配布した部族に擁立された面土国王、すなわち宗像氏の遠祖の支配下に入ると考えます。こうして物部氏・中臣氏などの遠祖がイザナミになり、宗像氏の遠祖がスサノオになるのでしょう。

大場氏は銅戈については言及していませんが、私は銅戈を配布したのは筑前の宗像氏、筑後の水沼君、豊後の大神氏など、スサノオの剣から化成したとされている宗像三女神を祭るようになる氏族だと考えます。

近畿地方には近畿式銅戈が見られますが、紀伊半島に銅戈が見られスサノオの伝承があことから、宗像三女神ではなくスサノオを祭るようになる氏族だと考えます。つまり銅戈を配布した部族の神話・伝説上の男性始祖がスサノオなのです。

スサノオは出雲でも大活躍しますが、出雲の銅戈は出雲大社の境外摂社・命主神社背後の真名井遺跡から出土した中細形1本だけです。大場氏は出雲に銅戈が見られないことから、スサノオと銅戈の関係が発想できなかったと推察しています。

現時点では真名井遺跡出土の唯一の中細形銅戈を出雲のスサノオと考えるのがよいと思っていますが、荒神谷・加茂岩倉遺跡のある出雲のことですから、100本単位の銅戈がどこかで眠っているかもしれません。

それが発見されれば私の考えが証明されることになり、内心では出土してほしいと願っているのですが、スサノオには銅戈を配布した部族の始祖という面と、草薙剣を中介にした銅剣を配布した部族の始祖という2面があるようです。

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