銅剣を配布した部族が神格化されたものがイザナミであり、銅剣を配布した部族が神格化されたものがイザナギだと考えていますが、イザナミは銅剣を配布した部族に擁立された奴国王でもあると考えます。イザナミが火の神・カグツチを生んだために焼死するのは2世紀初頭に奴国王が滅んだことが語られているようです。
滅んだ奴国王に代わって倭の盟主になるのが107年に遣使した面土国王の帥升ですが、これが神話のスサノオであり面土国は筑前宗像郡のようです。
このように考えると高天が原神話の構造が見えてきます。図は私の考える高天が原神話の概念ですが、イザナギ・ミイザナミが島や国、神々を生むオノゴロ島は筑前の志賀島のようです。
志賀島からは57年に奴国王に授与された金印が出土していますが、志賀島が神聖視されていたが故に金印の埋納地になり、神話の舞台にもなったのでしょう。
イザナギは神退り(かむさり、神でなくなること)したイザナミを追って「根之堅洲国」に行きますが、「根之堅洲国」は「黄泉の国」とも言われ、一般に出雲だと考えられています。ここで神話の舞台は筑紫から出雲に移ります。
舞台が急に変わるので途惑いますが、出雲神話のイザナミは370本にものぼる中細形銅剣C類や、瀬戸内の平形銅剣を配布した部族でもあるようです。高天が原のイザナミと出雲のイザナミは銅剣を配布した部族という点では一致するものの、区別して考えなければならないようです。
「黄泉の国」から逃げ帰ったイザナギは「橘之小戸之阿波岐原」で禊ぎをして22神を生みますが、生まれた神の中には志賀海神社の綿津美3神や、住吉神社の筒之男3神、警固神社の直比神ように博多湾の沿岸で祭られているものがあり、「小戸之阿波岐原」は博多湾の沿岸とするのがよいようです。
『古事記』で22神の最後に生まれたとされている天照大御神は卑弥呼であり、月読は卑弥呼の弟のようです。またスサノオは面土国王のようです。イザナギは天照大御神には高天が原を、月読には夜之食国を、スサノオには海原を統治するように命じています。
『日本書紀』の一書は天照大御神と月読は天に送り上げられたとしていますが、天とは高天が原のことであり邪馬台国のことです。2神が天に送り上げられたのは、王になった卑弥呼を弟が補佐するようになったということのようです。
筑前の筑後川水系域が高天が原で、ここが卑弥呼の都のある元来の邪馬台国だと考えます。筑後が夜之食国でありそれは投馬国だと考えていますが、邪馬台国と奴国・面土国は対立しており、そのために投馬国の有力者である卑弥呼姉弟が共立されて女王国を統治するようになるのだと考えます。
私の考えは邪馬台国と投馬国は宗像郡(面土国)の南になければならないということから始まりますが、以後に述べることの多くは、安本美典氏の『高天原の謎』(講談社現代新書、昭和49年)の163~173ページに依拠しています。
「小戸之阿波岐原」と高天が原が戸数7万の邪馬台国のようですが、元来の邪馬台国は筑前上座郡(現在の朝倉市の東半と東峰村)だと考えています。そこから見る筑紫平野の光景は、まさに高天が原から下界を眺める感があります。
宗像郡が海原であり面土国だと考えていますが、図の赤線は倭人伝・神話から想定した交通路です。天之八衢は田川郡で伊都国であり、海原と天之八衢の間が倭人伝に見える「東南陸行五百里到伊都国」の行程だと考えます。
概観すると高天が原神話は、海原(面土国、スサノオ)・根之堅洲国(奴国、イザナミ)と、高天が原(邪馬台国、天照大神)・小戸之阿波岐原(邪馬台国、イザナギ)・夜之食国(投馬国、月読)とは対立する関係にあり、天之八衢(伊都国)には猿田彦(一大率)が配置されて海原と根之堅州国を「検察」しているという構図になるようです。
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