2012年2月5日日曜日

倭面土国を考える その5

面土国の存在を否定される西嶋定生氏の考えは、「倭回土国」を「倭のウェィト国」と読んで伊都国のことだとした白鳥庫吉の説に基づいた主観論であり、客観的に言えば「倭面土国王帥升」が遣使したという記録が残っている以上、奴国のほかに面土国という国があったことになります。

白鳥庫吉は『倭女王卑弥呼考』で、天照大神が天の岩戸に籠る前後の状況と、卑弥呼の死の前後の状況が似ていることから、天照大神を卑弥呼・台与とし、その原因になったスサノオは狗奴国の男王の卑弥弓呼だとしています。

倭国大乱は狗奴国との争だということですが、とすれば大乱以前の70~80年間の男王は狗奴国王ということになります。西嶋氏も『倭国の出現』(東京大学出版会、1999年)、(「倭面土国論」の問題点)で同じ考えであることを述べています。

私は狗奴国王を『古事記』の大気都比売、『日本書記』の保食神と考え、スサノオは面土国王だと考えていますが、スサノオを狗奴国王としたために、「倭面土国」を「倭のウェィト国」と読んで伊都国のことだとしなければならなかったようです。

女王国の以北には、特に一大率を置き諸国を検察す、諸国はこれを畏憚する。常に伊都国に治す。国中に於いて刺史の如き有り。王の遣使の京都・帯方郡・諸韓国に詣るに、郡使の倭国に及ぶに、皆、津に臨みて捜露す。

私は通説とは違って、伊都国には一大率が置かれ諸国を検察しているが、伊都国以外にも国があってその国に「自女王国以北」を「刺史の如く」支配している者がいる仮定されており、女王の行なう外交を捜露しているというように解釈しています。

この文についての通説では一大率が諸国を検察し、また港で文書や献納物を捜露している有様があたかも中国の州刺史の如くだとされていますが、2011年5月投稿の「関八州取締出役」で、このように解釈したのも白鳥庫吉ではないかという推察を述べました。

幕末の関八州取締出役には直接ではないが横浜の外国船を取締りの対称にするものがあったようで、白鳥庫吉は一大率を横浜の外国船を取り締まるために配置された関八州取締出役のようなものだと考え、一大率は伊都国の津(糸島郡の港)に出向いて朝鮮半島から来た船を捜露する役人だと考えたようです。

何度も言及してきましたが、文中の「於国中有如刺史」の「於」の意味について『大辞泉』は 1、時間を表すとき 2、場所を表すとき 3、場合や事柄を表すとき 4、仮定条件の伴うとき用いられるとしています。

通説の解釈は3の、場合や事柄を表すとき「に関して」「について」「にあって」という意味のようで、「伊都国の中にあって刺史の如し」と解釈され、一大率が諸国を検察し、また津(港)では文書や献納物を捜露している有様が、中国の刺史の如くだと解釈されています。

この場合、一大率は常に伊都国にいるというのですから、国は伊都国に限定され他の国は考えようがありません。従って「於国中有」の4文字、ことに「有」は必要がなく「常治伊都国、如刺史」で十分に意味が通じます。そこに「於国中有」の4文字が加わると意味が変わってきます

この文は4の、仮定条件の伴う場合だということで、何かが仮定されており、条件が伴っています。「於」は「自女王国以北」があたかも中国の州のようだと仮定され、それには州の長官のような「刺史の如き」者がいることが条件になります。「於」は伊都国ではなく「自女王国以北」に懸かる文字なのです。

この「於」の文字の4つの解釈は漢文を和文に翻訳する時に生じるということですが、魏・晋朝の州刺史は最高位の地方行政官であって、関八州取締出役のように諸国を検察したり、外国から来た船を捜露する役人ではありません。通説は大変な誤解で、この誤解から面土国の存在を否定する考えが生じたように思われます。

伊都国は筑前糸島郡ではなく田川郡であり、面土国は宗像郡のようです。「自女王国以北」は遠賀川流域だと考えますが、その「自女王国以北」を「刺史の如く」支配している者こそ、帥升の140年後の子孫の面土国王であり、これが神話のスサノオなのです。

倭人伝に面土国の名が見えないことが問題ですが、狗奴国は「自女王国以北」の国ではありません。大乱以前の男王を狗奴国の男王と見れば面土国の存在は否定され、逆に面土国の存在を肯定すれば大乱以前の70~80年間の男王は面土国王であってもよいことになります。どちらを選択するかで結果は大きく変ってきます。

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