2011年10月2日日曜日

大山津見神 その3

私は銅剣を配布した部族の神話・伝説上の始祖が神話のイザナミだと考えていますが、山陰の出雲形銅剣(中細形銅剣C類)や、瀬戸内の平形銅剣を配布した部族の場合にはオヤマツミ(大山津見・大山積・大山祇)になるようです。

出雲ではスサノオやクシナタヒメ、アシナツチ・テナツチを祀る神社をよく見かけますが、オオヤマツミを主祭神とする神社はあまり見かけません。しかし合祀されているものはあるようです。

広島県安芸高田市吉田の清神社は毛利氏の氏神として知られていますが、『日本書記』の一書に見える、スサノオが降った「安芸国の可愛之河上」の伝承のある神社です。祭神はスサノオ・クシナタヒメ・アシナツチ・テナツチですが、ここでもオオヤマツミは祀られていません。

詳しくは調べていませんがオヤマツミは、出雲ではイザナミ・スサノオやクシナタヒメ、アシナツチ・テナツチ陰に隠れて影が薄ものの、美作など中国山地の各地では、相当数がさりげなく祀られているようです。

オヤマツミはいたって地味な神ですが、その神統上の位置付けは以外に重要で、日向神話でコノハナノサクヤヒメの父とされ、出雲神話ではクシナタヒメ(櫛名田比売・奇稲田姫)の祖父ということになっています。

コノハナノサクヤヒメの系譜は神武天皇に連なり、クシナタヒメの系譜は大国主に連なります。この神には天つ神(高天原系の神)と国つ神(土着神)を結びつける役割があるようで、出雲神話でも天つ神のイザナミと国つ神のアシナツチ・テナツチを結びつけています。

オオヤマツミと言えば山の神のように思われますが、海の神としての性格を併せ持っています。日向神話の「海幸彦・山幸彦」の海幸彦は、鹿児島県薩摩半島の海人のようですが、加世田市付近の大山積・コノハナノサクヤヒメの伝承には、海幸彦の子孫の「吾田君」が絡んできます。 

オオヤマツミを祭る神社といえば愛媛県今治市大三島の大山祇神社(図の赤角印)と、静岡県三島市の三島神社が有名です。大山祇神社は全国の「三島神社」「山神社」の総本宮とされ、別名を「和多志大神」と呼ばれています。「和多志大神」とは「渡しの大神」という意味だと考えられており、瀬戸内海の海路を守護する神で「三島水軍」の守護神ともされました。

前々回には荒神谷遺跡の358本の中細形銅剣C類は、図の緑色、黄色に塗り潰した地域に配布されていたものが回収されたと述べましたが、その南の大山祇神社を中心とする40キロ圏内の瀬戸内海沿岸に平形銅剣が分布しています。

周辺には大山祇神社の末社でオオヤマツミを祭る三島神社が相当数ありますが、平形銅剣を配布したのは瀬戸内海を活動の場とする海人の部族であり、その部族の神話・伝説上の始祖が大山祇神社の祭神のオオヤマツミなのでしょう。

それに対して中細形銅剣C類を配布した部族がアシナツチ・テナツチやクシナタヒメの祖のオオヤマツミだと考えます。図の緑色に塗り潰した地域が中細形銅剣C類の分布の中心になっていますが、同時にこの地域は『出雲国風土記』に見える出雲神話の舞台でもあります。

吉備内陸部の黄色に塗り潰した地域にも三島神社が見られると推察していますが、この地域では中細形銅剣C類を配布した部族としてのオオヤマツミと、平形銅剣を配布した部族としてのオオヤマツミが並存していると考えています。

図で四国を横断している赤線は地学上の中央構造線ですが、その南側には平形銅剣が見られず、西から広形銅矛が流入し東からはⅣ-2式以後の近畿式銅鐸が流入しています。このために中央構造線以南にはオオヤマツミの伝承がみられないようです。四国には物部氏が勢力を拡大した兆候がみられますが、これが関係しているのかもしれません。

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