2011年7月24日日曜日

出雲神話 その3

出雲は地理的に筑紫と大和の中間に位置していますが、このことは必然的に神話や青銅祭器の分布に影響してきます。イザナギ・イザナミやスサノオは主として筑紫で活動する神ですが、突如として活動の場を出雲に移します。

青銅祭器を見ると中細形の段階で銅剣が九州から姿を消し、山陰に中細形銅剣c類が、また瀬戸内に平形銅剣が分布するようになります。度々述べてきたように銅剣が九州から姿を消すのは2世紀初頭に奴国王が滅んだことによります。

また大国主は出雲の神のように思えますが、名前が大物主やオオナムチに変わると大和や紀伊で活動します。これは大国主が中国・四国から東海・北陸にかけて分布する銅鐸を配布した部族の、神話・伝説上の始祖であることによります。

その内容の破天荒なことと共に、出雲神話では神話の舞台が目まぐるしく変わるので史実と思ってよいのか途惑いますが、これは史書に次のような形式があることにもよるようです。

紀事本末体  ストーリーの展開を、事件の筋が分かり易いように纏め直したもの
編年体     『春秋』に代表されるように年代順に記述を進めるもの
紀伝体     『三国志』のように本紀・列伝・志などの項目を立てて記述を進めるもの
国史体     日本独自のもので特定の個人を中心にして記述を進めるもの

私たちの関心を持っている『三国志』魏書・東夷伝・倭人条は紀伝体ですが、『古事記』の中・下巻は国史体であり、『日本書記』は国史体でありながら編年体でもあるようです。そして『古事記』、および『日本書記』の神話は「紀事本末体」のようです。

神話は時代も場所も異なる別の事件が、ひとつのストーリーに纏められています。4月投稿の「二人のヒコホホデミ」ではヒコホホデミが二人いることを述べましたが、侏儒国(日向)が統合される過程で起きた6つの事件が、神武天皇を天照大神(卑弥呼)の6世孫(ホノニニギの4世孫)とするために纏め直されているようです。

出雲神話にも紀事本末体の特徴が現れています。高天が原を追放されたスサノオは出雲に降りヤマタノオロチを退治し「草薙の剣」を得ますが、これは2世紀末の倭国大乱が中国・四国地方に波及したことや、その結果スサノオに相当する王が立てられたことが語られているようです。

紀事本末体の出雲神話が伝えようとしているテーマは、天照大神(卑弥呼・台与)の王権が大和の大王(天皇)に継承されているのに対し、奴国王の王権は出雲の王に継承されているということであり、同様にスサノオが出雲でヤマタノオロチを退治するのは、面土国王の王権も出雲の王に継承されているということのようです。

紀事本末体の神話では事件の起きた年代が分かりませんが、これも私たちを途惑わせます。『古事記』は和銅5年(712)に成立しますが、翌和銅6年(713)には諸国に『風土記』の編纂が命じられ、養老4年(720)に『日本書紀』が成立します。

和銅6年から養老4年の間に国史体の『古事記』を、編年体併用の『日本書記』に変える作業が行われことが考えられます。神功皇后紀39年条には「是年、太歳己末」として倭人伝の記事が引用されており、太歳紀年法による編年が行われたことを表しているようです。

その結果、実際には4世紀末ころと考えられる神功皇后の活動時期は、木星の運行の2運(120年)古い3世紀とされ、神功皇后が卑弥呼・台与とされています。倭人伝に次の文があります。

魏略曰。其俗不知正歳四節。但計春耕秋収。為年紀・・(略)・・其人壽。或百年。或八九十年

この文については春と秋をそれぞれ1年とする「2倍年暦」が存在したとする説がありますが、寿命と平均壽命は違います。平均壽命は医療や食生活など生活環境によって異なりますが、人間の寿命は80~90年で、まれに100歳まで生きる人もいますがこれは不変です。

紀事本末体の神話で事件の起きた年代が分からないことと長寿の者が多いことには関係はなさそうです。倭人は生活環境が良く長寿の者が多いと述べられているのであって、暦がないから年代は伝えられなかったのであり、年代が創作されたことを表しているというのではないようです。

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