西島定生氏は「倭面土国」という記載が存在する以上、奴国のほかに面土国という倭人の国が朝貢したことになるとされていましたが、後にこの考えを否定されるようになります。しかし、面土国の存在を否定しても倭国王帥升の遣使は否定できません。そこで帥升を伊都国王・奴国王とする考えが登場してきます。
倭人伝に見える大倭とは大倭王のことで、大倭王は奴国王であり、帥升を奴国王だとする説があります。また最近では寺沢薫氏が畿内説の立場から帥升を伊都国王とする説を発表されています。
面土国という国が存在したということと、その国が伊都国、奴国だというのではまったく意味が違ってきます。2・3世紀の倭国、換言するなら卑弥呼前後の倭国を考える上で、面土国を徹底して解明する必要があります。
租賦を収むるに邸閣あり。国国に市ありて有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸国はこれを畏憚す。常に伊都国に治す。国中に於いて(於ける?)刺史の如きあり。王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓国に至り、および郡の倭国に使するや、皆津に臨みて捜露し、文書・賜遣の物を伝送して女王にいたらしめ、差錯するを得ず
この文は何処までを一節と見るかで意味が変わってきます。
第1の読み方
「収租賦邸閣、国国有市交易有無」までを一節と見て、以後の「使大倭監之、自女王国以北、特置一大率検察諸国、諸国畏憚、常治伊都国、於国中有如刺(以後略)」を別の節とするもの
第2の読み方
「租賦邸閣、国国有市交易有無、使大倭監之」までを一節と見て、以後の「自女王国以北、特置一大率検察諸国、諸国畏憚、常治伊都国、於国中有如刺史(以後略)」を別の節とするもの
第3の読み方
「収租賦邸閣、国国有市交易有無、使大倭監之」までを一節と見て、以後の「自女王国以北、特置一大率検察諸国、諸国畏憚、常治伊都国」までを別の節と見る。さらに「於国中有如刺史、王遣使詣京都・帯方郡・諸韓国、及郡使倭国、皆臨津捜露(以後略)」は前の2節とは別の節とするもの、
第1の読み方と第2の読み方の違いは、「使大倭監之」の「之」を市や交易にかかる文字と見るか、あるいは一大率にかかる文字と見るかの違いです。第1の読み方は東洋史の植村清二氏の説で、大倭は一大率を統括しているのであって、租賦を収めるための邸閣や交易と大倭とは関係がないと解釈されています。
一般的には第2の読み方がされており、大倭は市場や交易を管理しており、一大率は「自女王国以北」の諸国を「刺史の如く」に検察していると解釈されています。しかし面土国が存在しているのであれば、第3の読み方を考えなければならなくなります。この点についてはすでに昨年の7月10日と27日の「邪馬台国と面土国 その6」に投稿しています。
文中に「於国中有、如刺史」とありますが、「於国中有」は「国中に於いて有り」あるいは「国中に於ける有り」と読み下され、通説になっている第2の読み方ではその国は伊都国だとされています。一大率は伊都国で「常冶」しているのですから、第2の読み方では伊都国以外には考えようがありません。
ここで発想の転換が必要なようです。そうだとすると「於国中有」の4文字は必要がなく「常治伊都国。如刺史」でよいはずであり、特に「有」の一字は全く必要がありません。「於国中有」の4文字が無ければその国を通説のように伊都国とすることができそうですが、有れば刺史の如き者のいる国と一大率のいる伊都国とは別の国ということになります。
このように考えると第3の読み方が可能になってきます。「有」は一大率のいる伊都国とは別に国が存在しているという意味だと考えなければいけません。つまり一大率は伊都国にいて諸国を検察しており、刺史の如き者は伊都国以外の国にいて女王の行う外交々渉を捜露しているのです。通説は「於国中有」を完全に無視しています。
帥升を奴国王とする説もありますが、奴国のほかに面土国という倭人の国が朝貢したことになるという、以前の西島氏の考えに従うと、その国は奴国ではなく面土国ということになります。「津に臨みて捜露し」とありますが、津とは港のことだと考えてよいでしょう。この津が面土(ミナト)という国名の起源の港であることが考えられてきます。
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