ホノニニギ(台与の後の王)の天孫降臨は南九州の侏儒国が統合されたということのようですが、間もなく神武天皇の東遷が始まるようです。、以後に述べるのは表の?の部分に入る人名・神名と年代を考えてみようというものです。
卑弥呼死後の男王= 忍穂耳 =247年ころ
台与= 天照大神B =247年ころ
台与の後の男王= 番能邇々芸 =250年代?
? 火遠理(海幸彦) ?
? 鵜葺草葺不合 ?? 神武天皇 ?
倭人の遣使 ? =266年
古墳時代の始まり ? =3世紀後半
図は『古事記』による紳統ですが、火遠理を神武天皇の祖父としており、海幸彦・山幸彦の神話でも山幸彦は火遠理だとされています。彦穂々手見という神名も見えますが火遠理の別名とするだけで、『古事記』の彦穂々手見には事績がまったくありません。
ところが『日本書記』の場合は彦火々出見(古事記の彦穂々手見)を中心にして展開していて、火折(古事記の火遠理)の活動がほとんど見られず、山幸彦についても大部分は彦火々出見になっています。以下は『日本書記』に見える彦火々出見の母と兄弟です。
本文 鹿葦津姫=火闌降命・彦火火出見尊・火明命
一書第二 吾田鹿葦津姫=火酢芹命・彦火火出見尊・火折命
第三 ?=火明命・火進命・火折彦火火出見尊
第五 吾田鹿葦津姫=火進命・火折尊・彦火火出見尊
第六 豊吾田津姫=火酢芹命・火折命(又の名・彦火火出見尊)
第七 吾田津姫=火明命・火夜織命・彦火火出見尊
第八 木花開耶姫=火酢芹命・彦火火出見尊
『日本書記』は尊称の「尊」と「命」を区別していて、尊は天皇の祖とされる神に用いられ、命は天皇の祖ではない神に用いられており、彦火々出見はすべて尊になっています。ところが火折(古事記の火遠理)については第三の一書が火折彦火火出見尊とし、第五の一書が尊とするだけで他は命になっています。
『古事記』は神武天皇を火遠理(日本書記の火折)の孫としていますが、この「尊」と「命」の使い分けから見ると火遠理(日本書紀の火折)は天皇の祖ではないことになります。このことは別の視点からも言えます。
『古事記』は神武天皇の祖父を火遠理としてその別名の彦穂々手見を無視していますが、一方の『日本書記』は神武天皇の祖父は火折(古事記の火遠理)ではなく彦火々出見だとしています。これは彦火々出見が神武天皇の本名でもあるということのようです。
八段一書 第六 是を神日本磐余彦火火出見天皇の后とす
十段一書 第二 亦は神日本磐余彦火火出見尊と號す
第三 次に神日本磐余彦火火出見尊
第四 次に磐余彦火火出見尊
神武紀 即位前紀 神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見
元年 神日本磐余彦火火出見天皇と曰す
これについて津田左右吉は、彦火々出見と孫にあたるはずの神日本磐余彦(神武天皇)とは同一人物であったと考えられるとし、大和へ東征するのは彦火々出見だったが、後に物語の構成が変わり彦火々出見の次に鵜葺草葺不合が置かれ、新たに東征物語の主人公として神武天皇が創作されたとしています。
神武天皇即位前紀は神武天皇の諱(ただの御名)が彦火火出見だとしていますが、諱は「忌み名」のことで、中国から伝わってきた貴人を実名で呼ぶことを避ける風習です。つまり神武天皇の実名が彦火火出見だというのです。
『古事記』は彦穂々手見を火遠理の別名としていて、彦穂々手見の活動を記していませんが、神武天皇を実名で呼ぶこと避けているのでしょう。『日本書紀』はこの風習に従っていないために、神武天皇の実名が彦火火出見だとする記述が出てくると思われます。
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