ホノニニギ(台与の後の王)の天孫降臨には五伴緒(いつのとものお)と呼ばれる五柱の神が随行しますが、いずれも大和朝廷の祭祀を行う氏族の祖のようです。『古事記』では次のようになっていますが、右欄は氏族名やその性格から見た私の考える職掌です。
天児屋 中臣連らの祖 政事にかかわる祭祀を担当
布刀玉 忌部首らの祖 祭事にかかわる祭祀を担当
天宇受売 猿女君の祖 卜占を担当
伊斯許理度売 作鏡連らの祖 祭祀具の鏡を鋳造
玉祖 玉祖連らの祖 祭祀具の玉を製作
猿女君は朝廷の行う大嘗祭の前行程や、鎮魂祭の演舞を行う巫女の、「猿女」を貢進した祭祀氏族だと考えられていて、同じ祭祀氏族でも中臣氏や忌部氏などは男性が祭祀に携わりましたが、猿女君は女性が巫女として祭祀に携わったために勢力が弱く、中臣氏・忌部氏ほどの活動が見られません。
猿女君は伊勢を本拠としたようで、三重県鈴鹿市の椿大神社は伊勢国一の宮で、サルタヒコを祭る神社の総本宮とされています。その支族の稗田氏は朝廷の行事に参加する必要から大和国添上郡稗田村(奈良県大和郡山市稗田)を本拠としていて、賣太神社は稗田阿礼、サルタヒコ、アメノウズメを祭神にしています。
『古事記』序文にその名の見える稗田阿礼もその一族ですが、阿礼は女性だとする説もあります。阿礼が男性なら猿女君一族の男性に大和朝廷の「語部」を職掌とする者がいたことが考えられます。倭人伝に次の文が見られます。
以婢千人自侍。唯有男子一人給飲食。伝辞出入。居処宮室・樓觀・城柵嚴設
卑弥呼は大きな宮殿に住み、婢(はしため)が千人も侍して(かしづいて)いるというのですが、ただ一人の男子が飲食を給仕し、辞を伝えるために出入りしているばかりでした。そのギャップが面白いのですが、この文の感じでは大きな宮殿には女性ばかりが千人もいて男性は少なかったように思えてきます。
婢千人は女王国にいる巫女の数のように思います。卑弥呼は「鬼道を事とし、よく衆を惑わす」とあります。鬼道を当時の中国で盛んだった道教と結び付ける説もありますが、神意を占ってそれを政治に反映させるものでしょう。
成文化された法や令のない社会では慣習や前例が法・令になりますが、慣習や前例のない場合には神意を占い、それが法・令になりました。律令時代以前の大和朝廷では中臣氏は政事(まつりごと)に関わる祭祀を担当していたと考えます。
猿女君は中臣氏や忌部氏が職掌とする慣習や前例のない事態が発生した時に神意を占う巫女を出したのだと考えます。それは国家の運営から庶民の日常生活に及びますから、その範囲は今日風に言えば日本国憲法の解釈から近所付合いのルールにまで至ります。
卑弥呼が一人でそのすべてを処理できるとは思えません。卑弥呼は国事を卜占してそれを政治に反映させていましたが、その卑弥呼を助けていたのが千人にも及ぶ巫女であったと考えます。それが「以婢千人自侍」と誤解されているのでしょう。
アメノウズメの胸乳を露に出し裳帯を臍の下に押し垂れて、あざ笑って向き立つ姿は、天の岩戸の前での姿と同じです。これはシャーマンが神懸かりしている状態のようで、アメノウズメにはシャーマンとしての性格が見られます。
猿女氏は大和朝廷内で巫女を出すことを職掌としましたが、アメノウズメも巫女だと考えるのがよさそうで、倭人伝に見える婢千人を管理しているのがアメノウズメだと考えることができそうです。天の岩戸に籠もる天照大神は卑弥呼であり、岩戸から出てきた天照大神は台与ですが、アメノウズメが岩戸の前で踊るのは女王がいなかったということでしょう。
女王であると同時に巫女でもある卑弥呼・台与のいない時にアメノウズメが活動するようで、サルタヒコに向き立つアメノウズメも、台与が退位して女王がいない時期に、猿女君の祖が女王の代役(後の伊勢神宮の斎王)のような立場にあったことが語られているようです。
アメノウズメは命ぜられてサルタヒコの元に出向きますが、サルタヒコはアメノウズメに送られて伊勢の阿耶訶(あざか、三重県松坂市)に行くことになっています。これはすでに台与が巫女としての役割を果たしていないということであり、女王制が廃止されると同時に一大率の制度も廃止されたということでしょう。
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