初めてのブログ公開です。よろしく
いわゆる邪馬台国論争をやるつもりですが、通説とは全く異なっております。今回はプロローグとして倭人伝中の国々の位置を地図にしてみました。(地図をクリックして見てください)
この地図を作図するについては髙木彬光氏の『邪馬台国の秘密』がヒントになりました。『邪馬台国の秘密』については当ウェブにも多くありますので参考にしてみてください。古田武彦氏の『邪馬台国はなかった』と比較していただければ特徴がよくわかると思います。
大宰府天満宮蔵『翰苑』に「邪届伊都傍連斯馬』とあります。邪馬台国(邪馬嘉国)は伊都国に届き、一方で斯馬国に連なっています。伊都国は豊前の田河郡であり、斯馬国は筑前の志摩郡です。そして邪馬台国は筑前を三郡山地で二分したときの西側で、王城が卑弥呼の宮殿のあった場所です。
この地図は、3世紀に面土国が存在しており、それは筑前宗像郡であり、 倭人伝中の国々の方位・距離は面土国(宗像郡) が起点になっていることを前提にしています。 面土国は「港の国」という意味の国名で「めんとこく」と読むのがよいようです。
「早い者勝ち」で、これをハンドルネームにさせていただきました。 三世紀に面土国が存在したことなど全く考えられていませんが、これが事実なら邪馬台国の常識は根底からひっくり返りますが、どう思いますか?
倭人伝に見える国には「従郡至倭」の行程中の国と「自女王国以北」の国がありますが、「従郡至倭」の行程は末盧国の海岸で終わっており、「自女王国以北」の国の方位・距離は面土国を起点とする放射行程です。
倭人伝の文脈上では面土国はそのどちらにも属しておらず、従って 倭人伝には面土国という国名を書く場所がありません。その為に倭人伝に面土国の名前がないのですが、それを三世紀に存在していないと思われて混乱が起きています。
この地図には必ず入っていなければならないはずのひとつの国名が抜けています。その国名を考えてみてください。どうしてそうなりますか?