邪馬台国と面土国

卑弥呼は共立されて王になりますが、それ以前の70~80年間は男子が王でした。卑弥呼を共立したのは誰でしょうか。そして卑弥呼以前の男王はその後どうなったのでしょうか。

2013年7月10日水曜日

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1年2ヶ月ぶりの投稿です。使い慣れたXPがダウン。あわててwindows7を買い求めたものの使い方が分からず悪戦苦闘し、最近何とか扱えるようになってきました。その間に考えたのはこのままブログを続けても今まで述べてきたことの繰り返しになるだろうということでした。 それなら今まで...
2012年4月29日日曜日

日向神話の構成 その7

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『古事記』は高千穂峯に降臨したヒコホホデミ(台与の後の男王)について「高天原に氷ぎ(木篇に彖)たかしりて坐しき」と記しています。これだと ヒコホホデミは高天ヶ原(邪馬台国)に居 る ことになりますが、同じ用例が『古事記』の大国主の国譲りの物語にもあります。 「唯僕が住所をば、...
2012年4月22日日曜日

日向神話の構成 その6

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天孫降臨として語られている侏儒国(日向)の統合の前段階として、 肥前の西半や臼杵―八代構造線以南の球磨川流域 の統合があったと考えていますが、狗奴国の官の狗古智卑狗が殺されたことにより、統合はさらに人吉盆地から薩摩・大隅・日向の国境地帯へと拡大したと考えます。 時に彼處に一の...
2012年4月15日日曜日

日向神話の構成 その5

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「天孫降臨」の神話には渡来系弥生人の女王国(筑紫)が臼杵―八代構造線以南にあった縄文系弥生人の 侏儒国(日向)を統合 したことが語られていると考えていますが、それには狗古智卑狗の支配の及んでいなかった 肥前の長崎県部分や天草諸島 を含めて考えるのがよいと思っています。 図...
2012年4月8日日曜日

日向神話の構成 その4

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スサノオ(須佐之男)が オオケツヒメ (大気津比売)を、ツキヨミ(月読)が ウケモチ (保食神)を殺すのは、狗奴国の官の狗古智卑狗が殺されたということだと考えていますが、狗奴国は肥後と肥前の長崎県部分と考え、 狗古智卑狗は肥後の菊池川流域 の支配者だと考えます。 中国の諸王朝...
2012年4月1日日曜日

日向神話の構成 その3

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『日本書記』神功皇后紀三十九年条に、 泰始2年 (266)の遣使記事が引用されていることから、遣使したのは台与だと思われていますが、『晋書』武帝紀は司馬昭が相(総理大臣)だった 258年~265年の7年間に何度かの倭人の遣使 があったとしています。 倭人伝の記事は正始8年で終...
2012年3月25日日曜日

日向神話の構成 その2

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『粱書』『北史』に「複立卑弥呼宗女・臺與為王。其後複立男王。 竝受中国爵命 」とありますが、台与の後にも男王が並び立ち中国の爵命を受けたというのです。「竝」には2人が横に並ぶということで「並び立つ」という意味があり、この文によると台与が女王だった3世紀後半に2人の王がいたことにな...
2012年3月18日日曜日

日向神話の構成 その1

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新井白石・本居宣長以来続いている邪馬台国論争は決着する気配がありませんが、これは『古事記』や『日本書紀』が神功皇后を卑弥呼・台与と思わせようとしていることに始まる「ボタンの掛け違い」でしょう。最初のボタン穴を間違えると最後まで喰い違ってしまいますが、面土国の存在を認めない限り、こ...
2012年3月11日日曜日

倭面土国を考える その10

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通説では王莽の新の時代に鋳造された「貨泉」の流通が停止され、五銖銭が復活した40年ころが中期と後期の境とされていますが、私は貨泉の鋳造が始まった7年ころを中期中葉とし、後漢第四代の和帝が在位した 88~105年ころを後期の初め とするのがよいと思っています。 こうすると面土国...
2012年3月4日日曜日

倭面土国を考える その9

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西嶋定生氏は倭面土国を古墳時代のヤマト国のことだとされているようですが、弥生時代が 「部族制社会 」であるのに対して古墳時代は「氏姓制社会」であり、更には「律令制社会」に変るという変遷が考えられていないように思います。 私は倭人が中国の冊封体制に組み込まれる紀元前1世紀以前に...
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