tag:blogger.com,1999:blog-8080556386698610488.post3682016163918596420..comments2022-03-30T16:06:16.353+09:00Comments on 邪馬台国と面土国: 西谷墳墓群 その2めんとこくhttp://www.blogger.com/profile/00865518055108363616noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-8080556386698610488.post-25665857910504390142011-08-14T07:13:20.559+09:002011-08-14T07:13:20.559+09:00岐阜県 宗像様
2007年に長野県中野市柳沢遺跡で銅鐸、大阪湾型銅戈6本と共に、九州型銅戈1本が出土...岐阜県 宗像様<br />2007年に長野県中野市柳沢遺跡で銅鐸、大阪湾型銅戈6本と共に、九州型銅戈1本が出土していますが、これは1・2世紀の長野盆地に筑前宗像郡の宗像族と同族関係にある人々が居たということだと思っています。<br /><br />九州型銅戈1本は直接に、また大阪湾型銅戈6本は大阪湾沿岸を介して間接的に、筑前宗像郡の宗像族と関係を持っていたと考えています。これが現在の銅戈の分布の北限ですが、分布の北限については私も関心を持っています。<br /><br />推察になってしまいますが、信濃川の下流域や阿賀野川流域にも銅戈が存在する可能性はあると思います。信濃の安曇野には九州の安曇族との関係が言われていますが、岩代(福島県)の阿賀野川流域に宗像姓が見られることは有り得ることだと思います。<br /><br />筑前宗像族との結びつきは九州型銅戈が出土すれば出雲を経由する日本海沿いの航路によるものであり、大阪湾型銅戈が出土すればそれは瀬戸内海・大阪湾を経由するものだということになりそうです。<br /><br />筑前宗像郡がなぜ面土国なのかについては2009年8~9月の投稿で述べていますので、ぜひ読んでみてください。めんとこくnoreply@blogger.com